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京都芸術大学の卒業・修了制作展 尾崎いろはの展示

京都芸術大学卒業・修了制作展の尾崎いろはさんの展示空間は、独特の雰囲気が漂っていた。幾何学的に見える展示空間、金属のような素材そのもののように見える平面と中央にある円環状の作品、中央の作品は天井と床から糸で貼られており、静止しているのだけれども、回転しているかのような錯覚を覚える。

展示風景, ©尾崎いろは

円環状の作品の表面は、注意しないと読めない色で文字が書かれている。

《RECURRENCE-無くならない愛なら泣くな-》(部分), ©尾崎いろは

ひらがなで書かれた文字は、言葉としての意味をはく奪しているかのように見える。どこから読み始めて、どこが終わりなのかを意図的に曖昧にしているのだという。

ステートメントから読み取れるのはそれだけではなかった。周囲の平面は遺骨による顔料を使用している。MEDIUM(中動態、媒介)と名付けられた平面作品、中動態というと失われた態を思い出す。

能動態と受動態、そこに分類されない中動態、古代ギリシヤ語を参照しつつ、中動態について簡単な解説がある。する/されるでは表現しきれない中動態、意志に対する批判として参照している。

「山口尚 「日本哲学の最前線」 読書メモ」のnoteより

作品名に添えられている”無くならない愛なら泣くな”は回文になっており、RECCURENCEの表面に書かれている。二元論を超越するような挑戦だという。先の引用、する/されるが二元論とするならば、そこに分類されない試みだろうか。むしろ統合ではないか。

モリス・バーマンの「デカルトからベイトソンへ ――世界の再魔術化」では主客統合について、次のような記述がある。

中世の生活と思考とは、アニミズム的・ヘルメス的世界観にまだ相当な部分支配されていた。ある程度までは、主客統合の意識として論じることも可能なのである。

モリス・バーマン. デカルトからベイトソンへ世界の再魔術化 (Japanese Edition) (p.102). Kindle 版.

儀式的でありながら、幾何学的な展示構成は、やはり再魔術化を示そうとしているように思えた。

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