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リヒターを見て、岡本太郎を見て

東京国立近代美術館の「ゲルハルト・リヒター展」を見た。確か9月の始めくらいのこと。
誰だったかアーティストのツイートで、リヒター展の感想を次のようにつぶやいていた ”(表現が)ほとんどやらられている。これからの人はどう(表現したら)いいの” というような内容だったと思う。美術館の2時間ほどの滞在で、その指摘がリフレインする。
展示会場入ってすぐのところにビルケナウが展示されている部屋があった。後輩のゼミ生がリヒターに向き合い、ビルケナウに向き合っている。彼にとっては大変な時期だろうけれど、僕にとっては、純粋にビルケナウに向き合うことができた。
視覚的な刺激はもちろんのこと、作品の背景など、何層にも広がるような世界、どこまで潜れるのだろうか、収容所の写真、写真バージョンのビルケナウ、グレーの画面、リヒターが展示会場の模型を作ってまで、作品の配置を指示したらしい。このように配置してみせた。
充分に堪能した。ただ、TOPで見た時のような衝撃はもうなかった。もはや、アートに鈍感になってしまったのだろうか。

瀬戸内、香川県から始まったアート行脚は大阪にたどり着いた。用件の合間に中之島美術館で「展覧会 岡本太郎」を見た。


人気があり、活気もある。予約をしてチケットを購入しておいたが、窓口に並ぶ人もあるよう。中にはグッズが欲しくて特設のミュージアムショップへの行き方を訪ねる人もあった。

パリ滞在時の作品から始まるが、その当時の作品はほとんど戦火で焼けてしまったという。ところが3点ほど見つかった。岡本太郎の研究者などが検証し、岡本太郎の直筆の可能性が極めて高いということ。発見の経緯などが説明されていた。こんなに近い時代であっても手探りの鑑定になるのだね。

従軍した時の上官の肖像画、自身の似顔絵、様々な活動、集団への所属と離反、実験主義的な作品制作の方法だろうか。そして、作品として結実されていて、その画面の力強さ、それぞれに惹きつけられる。

縄文式土器の美の再発見や民俗学的なリサーチも興味深いが、創作のモチベーション、自身の中の情熱に感銘する。

王道的なアプローチと評していた友人があった。確かにその通りだな。けれども、情熱の炎、こうしたものは現代の人から失われたものではないだろうか。情熱の火を燃やし続けることの才能、そこに投入し続ける燃料。

リヒターを見て打ちひしがれたら、岡本太郎を見ればいいのではないか、そうした感想を持った。


ミュージアムショップでは、読むべき本を複数発見した。


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