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《少女信仰》鹿野真亜朱

東北芸工大学の東京選抜展、何年前から見ているだろうか。恐らく2019年から見ていると思うが、記憶が定かではない。今年こそは山形に見に行こうと思っていたが日程の関係で無理だった。

鹿野真亜朱さんは、版画を提示していた。

《少女信仰》, ©鹿野真亜朱

パネルにシルクスクリーン、細い線による書き込み、荘厳な雰囲気を漂わせているのはミューグランドで下地を作っているからだろう。画面に盛り込まれた様々な要素、キリスト教における宗教画の物語を示している。

少女信仰とは、パパ活、トー横キッズを引き合いに出して推しのために身体を売る。そうしたことを情報メディアを通じて知り、作品のモチーフとする。

「身体を売る→推しの為に」の行動がキリスト教におけるゴルゴダの丘の場面での「身をささげる→神の為に(人類の罪を与えているのが神であるため)」の何かのために行動する様式の類似性

展示キャプションのステートメントより

知っていることを描く、ただし、知っていることとはメディアによって知っているだけであり、そこに宗教画を参照している部分が、芸術がしてきたプロパガンダに対する批判的な姿勢としてうつる。神を見たものはいない。

ステートメントには、パパ活やトー横キッズのことは情報メディアからしか情報を得ていないと続く。どこか遠い話のように見えるのだろうか。

こうした少女性の作品はよく見かけるが、そこに興味を注いでいる中年男性については何もないと考えた。考えたものの、宗教画では神(=信仰の対象)が描かれており、信者については聖書の逸話がモチーフに選ばれるのみである。信者はただただ匿名性の中で身(金)をささげるということか。

《少女信仰》, ©鹿野真亜朱

情報がインターネットで複製される現代は、遠い地域で起こっている事象は宗教的な距離感なのかもしれない。

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