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新宮一成 『ラカンの精神分析』 読書メモ

ラカンをおさえておきたくて、Amazonで検索したら上位に出てきたため入手した。中古本があったので、それを買い求めたところ、結構ボロボロの本が届いた。購入履歴をチェックしてみたら、状態:可とあった。ボロボロだったために、少しがっかりしたが、逆転の発想、書き込みしながら読むことにした。これがとても良かった。少し本の読み方が変わるかもしれない。

とある精神科の患者の事例から始まる。マグロの刺身の話であり、精神科医である筆者がマグロの寿司を食べ損ねた次の日に患者がマグロのお刺身を腹一杯食べた夢を見たという。

ラカンの重要概念である他者の欲望を、無意識において担うという役割を与えられていたのである。

P.12

この患者はフランス文学を研究していた。筆者はメラニー・クラインの精神分析に興味がありイギリスに留学したいと考えていたが、治療が終わったのちに、筆者はフランスへ、患者はイギリスへ留学していた。これは他者の欲望を交換しあったという。

標識付けられた未来への希望も、他者の欲望の網の目を伝わって、転移してゆくことができる。ある種のテレパシーであるかのように見える現象も、精神分析の中ではかなりしばしば起こってくる。

P.16

自我思想の入れ替えというらしい。

他者と共有する何か。他者の要望によって自分の行動が決まる。
他人からの影響は少なからずあると思うが、将来の目的を交換してしまうことが起こるなんて。どのような治療が行われていたかは分からないけれど、カウンセリングの中で、フランス文学や、イギリスの精神分析のことは話しただろうか。聞いているうちに、自分のやるべきこととなったような錯覚が起こるのだろうか。誰かの意思を継ぐのとは、違う感じがする。

無意識性の説明の中で、シュールレアリスムの自動筆記などの記載もある。フロイトとアンドレ・ブルトンの関係に続く。フランスで精神分析の研究が起こった背景に、シュールレアリスムも影響しているという。
ブルトンは、夢を中心にしたフロイトのことを尊敬していた。

先ほどの欲望の交換「転移」は無意識下で起こるという。

アイデンティティの相対化

精神分析の中には、治療者への同一化をもって治療の目標とする考え方があった。治療者の健康な自我への同一化が、患者のアイデンティティを安定させ、良き社会生活を送るように導く。

P.24

ラカンは、このような考え方に真向から挑戦したという。ブルトンも同じ考え方であり、アーティストであるブルトンは、彼の小説「ナジャ」によって分析家になってしまった。

ラカンはシュールレアリストのグループと近づいた。ただ、ブルトンとの交流よりも、サルバトール・ダリと交流した。

フロイトの無意識、クレランボーが妄想・幻覚の中に潜む「精神自動症」について研究し、社会や個人と連続する無意識、クレランボーは、そこに不連続を見出した。シュールレアリスムでいうところの自動書記の無意識の概念にも近づく。ラカンは、クレランボーの研究が、フロイトの無意識を位置付ける枠組みを見た。

無意識は私にとって不連続で切断されたものなので、もし私がそれを意識化できるようなことがあったとしても、それは再び別のところに行ってしまっている。にもかかわらず、私はそれと関係を持たずにいることができない。

P.27

パラノイアの女性、エメとその息子との不思議な関係性。

人間の根源的な攻撃性が、自と他の同一化の領域にこそ潜んでいるという事実が、ラカンにとっての動かし難い理論的出発点となる。

P.29

鏡像段階論の出発点、他者の欲望が転移し、人々の不思議な関係性を構築していく。そうなると、自身の欲望とは何なのか?無意識化に現れた欲望が転移し、その欲望が自身のものとなった。なにげなく選択する事物が、実は他者によってもたらされた。


とてもページが重い本、ここまでで、まだ一章だった。



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