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『現代美術史』出版トークとその後

出版記念トーク

スクーリングで話題になっていた『現代美術史』。その出版記念トークが祐天寺のギャラリー、why not?で開催される。SEA*1に関する記載が多いということで、ゼミの同級生でSEA研究をしている同級生を誘って出かけてみた。

why not?の画廊主、黄金町のキュレーターと著者は、同じ時期にロンドンへ留学していたということ。その縁で出版記念トークになったらしい。ちなみに、why not?も開廊したばかり。

博士論文を下敷きとしてまとめたという著書。30代の若さで中公新書を出版するなんて、最年少じゃないか、とか、割とカジュアルな雰囲気で、おおよそ1時間くらいのトーク、研究者としての立場、アーティストとしての立場、それが両輪となって活動しているという。トランスナショナルに興味があるらしい。イギリスにおける黒人美術、コロニアルな考察についても著書にまとめられている。

トークの後のレセプションで仲良くなって二次会。今度、スクーリングにゲストとして来てくれるということを確認した。


監視社会

別の日に、山本さんと再会する。東京芸大で実施していたクイーンズ大学の監視研究センターが制作した映画の上映会。

3本の映画の上映だったのだけど、デジタル技術によって高度に監視できるようになり、意図しない結果となった物語。日本人的な感覚からすると、自業自得じゃん、なんて思うのだけど、意図せずに行動が記録されていることなどを問題視しているらしい。

本職でEUの一般データ保護規則(GDPR)とプライバシーに関する相談も行なっている。僕の立場としては、デジタル技術で収集する側だ。何だか複雑な感じ。ちなみに、最近のトレンドはプライバシーの重視から個々人にデータの管理主体を移す透明性に議論が展開している。

この上映をきっかけに、インディビデュアルを意識するようになった。

転職回数は多いけれど、肩書きがあって、所属する企業の看板で仕事をしている。実際の仕事のクオリティは担当者に大きく依存するものだけど、会社の看板の威光は大きい。

いつの間にか、インディビデュアルとしての感覚が欠落していたのだろう。だからこそ、3本の映画が提示する監視社会の怖さにもピンとこなかった。(でもね、自業自得だと思うのよね)


展覧会 interwoven

why not?のレセプションで知り合ったアーティストの個展を開催するという。

AR/VRを使ったドローイングを展開する。姿見があるのは、VRスコープを見て自分がアバターとなることを体感する。

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エンターテイメントのようであるが、そうではない。VRスコープ内に提示された自分の仮想の姿。コントローラを動かすと、鏡写しのようにアバターも動く。在廊していたアーティストとも作品について話をすることができた。

僕も将来はギャラリーをやってみたいな、なんて思ってみたり。


アトリエ訪問

展覧会と同じ日に、飯田橋のギンレイホールにでかける。高畠依子、児玉麻緒のアトリエがあり、契約更新に伴い引越しをする。それを受けてオープンアトリエとして公開していた。

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まさに、制作途中の作品、実験的な作品などをじっくりと鑑賞することができる。

これで決まり

美術の物語』に出ていたこの言葉、どこが、そのポイントなのか気になるものの、瑣末なことだとも思う。

アーティストと話をしたら、前の日まで展覧会をやっていたということ。残念。



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