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修士(芸術)、MFA(Master of Fine Arts)を取得してみて<全文公開>

2021年3月、修士課程を修了してMFAの学位を取得した。

節目にあたり2年間の学びを振り返っておこうと思う。

大学院へ進学の1年前、2018年。長く関わっていたコンサルティングの仕事(複数のプロジェクトに携わっていたため、仕事と書いた)が終わり、新しいクライアントの新しいプロジェクトを担当していた。長く関わっていた仕事はファッション・アパレル関連の仕事であり、ビジネスアイデアをひねり出す事業開発系の複数のプロジェクトだった。その後のプロジェクトは、情報システムを構築するための基盤系(インフラストラクチャ)の仕事であり、ガラッと様相が変わった。大事な仕事ではあるけれど、面白みが当然違う。また、その当時の上司(学生時代にホスト、その後コンサルティングファームに入りパートナーを勤めた破天荒な人)が退職し、あまり面白みの無い人が社外から招聘された。その新しい上司はコンサルティングファームの経験に加えて巨大企業の情報システム子会社の社長も経験していた人、ただし、化石(2000年前後のITコンサルタントバブルに、こんな人が多かった。)のような考え方に辟易した。そして2018年は副業で失敗したこともあり、大変な年だったことを覚えている。


そんな時、同僚が社会人向けMBAコースに通っている事を知った。自分も修士課程に興味は持っていた。ただ、MBAというのも面白みに欠けると考えていた。それならば、MFAなんて面白そう。実務の現場ではデザインシンキングとして、ビジネス課題へあたる取り組みが多かった。

デザインシンキングは、デザイナーの視点や発想をビジネスパーソンにも適用しようという試みだと理解している。それを踏まえてアートシンキングと称したゼロからイチを作る発想なんてのも出てきていた時期だった。

実際のところどうなの?

そんな疑問がわいてくる。思い切って、アートの門を叩いてみよう。

そこからの学びの話をここに綴ってきた。


右往左往、付和雷同、紆余曲折、2年間にいろいろあった。修士1年次の2019年8月頃には、なんでこんなことやっているんだろうか、なんてことも考えた。その頃、同級生の一人が退学をした。転機はいろいろとある。先輩や同級生にも助けられたし、何より、やりかけたことを最後までやりたい。そうした思いがあった。

美術書のみならず哲学書も読み込んだ。そうして得られた新たな視点からの振り返りとして、科学書や(今日的なテーマであるAI等の)技術書も含めて100冊を超える読書をしたと思う。正確にカウントしていないけれど、この2年間で展覧会は大小含めて400以上を訪問し、絵画、彫刻、インスタレーション、写真、映像、サウンド、言葉、詩、パフォーマンス等々、鑑賞・体験した作品は5,000を超えると思う。ただ、やみくもに体験するのではなく、大学院の指導と学び合いという軸があったからこそ、意味を持つことができたと思う。つまり三位一体の取り組み。これが大事。

そうした作品との対話の経験は、知らないうちにアートの見方、捉え方を、すなわちパースペクティブを身につけることになったみたい。

2020年3月のフィリップ・パレーノの個展が転換点だったけど、この時がひとつの到達点だったと思う。思えば、自分なりに修士一年目の総括をしていた。

到達したと思ったのも後から見れば通過点、修士2年目の春、本格的にリサーチを開始したら、その途方もない奥行に呆然としてしまった。そして、なんで1年次から研究の姿勢というものができていなかったのかを後悔する。もう1年、研究を続けたいと思ったのもこの頃だった。成績にもそれは表れていて、GPAは1年次と2年次で1.2ポイント以上も差がついている。


次の転換点は2020年の夏あたり。note連続30日投稿をしてみたり、更に海外のテキストにあたってみたり、修士論文はあくまでも通過点に過ぎない。

研究は、修士課程に在籍中でなくてもできる。そうした単純なことに気が付いた。

そうと決まれば、いろいろと試すべきであり、教授からの指導が得られるうちに、試行錯誤するべきであるだろう。そうして、表現と自分の思考の可動範囲を知る。

2020年の秋の中間報告を経て冬、いよいよ修士論文も完成し、スクーリングも残りわずかとなった。

心残りは、アート・バーゼルに研究旅行(修学旅行)に行けなかったことくらいかなと考えていて、卒業したらアートからは離れるだろうと思いこんでいた。11月のスクーリングで同級生から「卒業後はどうするの?」という質問をもらい、返答に困ってしまった。そもそもアートが好きで研究を始めたわけでもない。MFAを取得したかったからだったし、さて、どうしたものか。


アートの研究を通じて気がついたこと。

自分の感情を解放すること。

楽しいとはどういうことか?


そうした感情の欠落と自分自身の中で変化があることに気が付いた。それから、2020年の11月以降に見た展覧会、作品は楽しいかどうか、好きかどうか、そうした事を心がけて鑑賞したつもり、それが長いコンサルタント経験の中で殺してきた自分のエゴを蘇らせることに繋がったと思う。ここでも到達点を知ることになる。


そうして情熱を注ぎこんだ修士論文、これを書籍として形に残したいと考えた。本業に副業と多忙を極めるものの、何かチャレンジが無いと人生は味気ない。

もちろん修論をそのまま出版ではなく、下敷きとして発展させる。文字数も修論だけでは足りないし。

僕の書いた修論は、現代アートの難解さをコンセプチュアル・アートで紐解く一章と具体的な事例としてピエール・ユイグ研究の二章、そこに自分の考えを整理した三章という構成にした。いわゆる学術論文という体裁ではつまらないし、中弛みもあるだろうと考えての構成をとったつもり。

これに序章と終章を追加したいし、それぞれの章にもう少し書きたいこともある。悩ましいのは、アカデミックにいくか、コマーシャルにいくか。ただ、悩むよりもまず、原稿を書いてみよう。そのためのネタ集めというか、関連するリサーチを始めている。

例えばアニミズム。

日常に接続する現代アート、この楽しさを少しでも伝えられる書籍になればと考えている。



このnoteでは初の試み、有料記事にしてみました。全文を公開しているので、記事購入をしなくても読むことができます。もし、購入頂けたら、出版資金にあてたいと思います。そして、原稿が書き上がり、いざ出版を行う際にはクラウドファンディングなども試してみようと考え中です。


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