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『Wolfgang Tillmans How does it feel?』@WAKO WORKS OF ART 六本木周辺の展覧会 鑑賞メモ

六本木のWAKO WORKS OF ARTで開催されているティルマンスの個展、6年ぶりの開催ということ。展示は完全予約制で、週末は早々に満席になってしまう。早めに予定を立てるようにするといいと思う。

様々な作品が展示されている。入り口の部屋には、ピン止めされた作品が、目線の高さで、白い壁を埋め尽くしている。様々な構図、写っているモデルやモノ、ある種、無造作に見える写真の提示。フレームの中にオーバーレイで表現されている。フレームの中にあるフレームは、フレームそのものを考えさせる。なんでもないモチーフのほんの端っこにフレームがきている、これは何か。

一見、無造作に提示されている作品群、これは壁に貼られたZINEだなと思った。どこから見てもいいし、好きなように行き来できる。そうしたZINEの特性を壁に表現している。そうすると、これは感情を表現しているのだろうか。ループするかのような、そんな錯覚があった。

二つ目の部屋は、大判のインクジェット出力の作品が目につく。最初の部屋にあったZINEの接続をするかのような作品、呼応するような大型の作品。作品の大小が不安な気持ちにさせつつも、大きな作品は安定を想起させる。

奥の部屋は映像作品、ここでもオーバーレイが見られる。水が躍る画面、食べ物、コピー機などの光、縦型の画面と頭の後ろからの音。小さな部屋での没入感。

2020Solidarity の活動でポスターを購入した。このタイミングでティルマンスを見られたのが良かった。


六本木に出かけたために、近くのギャラリーも回ってみる。


タロウナスで開催されていた榎本耕一「NEW LIFE!!」展。

新型コロナ禍の中で政治家が語る”新しい~”という言葉、普段はワクワクする形容詞だったものが、生活様式と繋がることで、言葉のキラキラさが失われてしまったということ。

大きな作品が十数点。高層ビル、都市なのか、その前景の、やや力の抜けた若者達の肖像、楽観的に見るのか、諦めなのか。ウィズコロナ、アフターコロナに、どのような世界が待っているのかを暗喩するかのような画面。モチーフの若者のファッションから、1970年代から80年代あたりを連想してしまったが、前世紀の東西冷戦、核兵器拡大、ベトナム戦争、学生運動などを連想した、そうした悲観的な要素があるものの、世界は高度経済成長であり、漠然とした未来への希望、楽観的な部分もあった。そうしたものをオーバーレイに表現しているような印象を受けた。


Tomio Koyama Gallery福永大介「はたらきびと」展。

休憩中なのか、作業着の人が現場で寝そべっている。大型のペイントのほとんどが、そうした働く人の休憩をモチーフとしているよう。職業人としてのアティチュード、それも休憩の時には緩んでくるということか。労働と疎外、それに休憩を掛け合わせて、なんとも言えない瞬間を切り取っているように感じた。ただ、顔が不明瞭であり、そこが画面の中の人に深く入り込むような誘いがあった。


ShugoArts 髙畠依子「MARS」展。これも見たかった。

以前、スタジオビジットしたこともあり、次の展覧会は絶対に見たいと考えていた。

鉄分を多く含む絵具を使い、絵具が乾く前に磁石によって現れる模様。大画面に繰り返される磁力の可視化。鉄分を多く含むためか、黒一色であり、地の色と含めた白黒、盛り上がるかのような画面に、見入ってしまう。

展覧会の名前、MARSとは、火星に酸化鉄が多いということで、名前が付けられた。鉄、磁力、そこから紡ぎだされた姿。ギャラリーの中で、作品に囲まれた感覚、包み込まれる具合の鑑賞体験が、とりわけよかった。


最後はSNOW CONTEMPORARY日野之彦「モデル」展。


人を描いているにも関わらず、人から離れていくような、そんな作品が提示されている。日野は自身をモデルに、よりデフォルメした作品にしていたが、展覧会の名前にある通り、モデルを使い、描いている。焦点のあっていない視線、やや誇張された人物像は、アイデンティティを薄めている。習作のためのデッサンも提示されていたが、そこの試行錯誤が見られて、とてもよかった。



久しぶりに絵画を見に来たように思う。ちょうど美術手帖の特集。気になる。



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