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岡山芸術交流2019 もし蛇が

一足先にK先輩が岡山芸術交流に来ていた。

そして、是非とも見るべきと指令がきた。

十一月中旬に日程を組んで、初めての岡山、改札を潜ると横断幕。そして岡山大学で細胞学会が開催される日程だったらしく、岡山駅は人混みでごった返していた。カオスである。朝早く到着したこともあり、駅前の案内所がオープンしていなかった。あいトリの時も朝早かったためにウロウロしてしまったが、なんてことない案内場は9時に開場、展示会のチケットとあらかたの説明(展示を見るべき順序、移動方法(路面電車が便利))を受けることができた。このあたりはグレゴール・シュナイダーの経験が活きている。

展示会場は岡山城周辺に集中しており、徒歩でも十分に回りきることができる。路面電車を使う、レンタル自転車を使うなどもできるみたい。パンフレットが大判の地図になっており、展示会場とおおよその作品の位置とを示している。ただ、入り口方向が分からないので、少し迷う。さながらオリエンテーリングのような感覚もある。

突然、頭上に出現する大型パネルに提示されるジョン・ジェラードの《アフリカツメガエル(宇宙実験室)》。もう、アートワールドに足を踏み入れたようだ。

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それほど交通量は多く無いみたいだけど、交差点に提示される映像作品。生活道路が走る。この日常への溶け込み具合が、なんとも面白い。岡山が現代アートに開かれているような、そんな町の様子から高揚感があった。

A会場の旧岡山市立内山下小学校に到着した。

ここがメイン会場と教えてもらい、そこから北側の会場を巡るか、南側の会場を巡るかを選ぶのがいいだろうと案内してもらっていた。


アート空間。

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アフリカツメガエルの手前にある塀の植物も作品。ティノ・セーガルのパフォーマンス、エティエンヌ・シャンボーの《微積分/石》、背中側にはピエール・ユイグの《タイトル未定》がある。

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惜しげも無く押し寄せるアート。

岡山城ですら、作品なのでは、という錯覚というか、眩暈を感じる。

大学院で現代アート研究を始めてからというもの、アート非アートアートっぽいものを如何にして視るのか、そうしたことを考えていたけれど、なんだか違うアプローチが必要そうな、そんな感情が沸き立ってくる。


校舎内で展開されるインスタレーションと映像作品。

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物語としての意味は分からない。地球の自転が遅くなって滅亡の途上にある学校の一日を記録した映像作品ということだった。校舎内には床に穴が空いていたり、壁に穴が空いていたり。

映像作品は結構な尺がある。ニュース映像は、ディープフェイクによって作られた映像。

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この頃になると、分かろう、解釈しようとするよりも、体験しようと気持ちを切り替えていた。なにしろ、交流だから。





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