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『分裂と融合 post / photography 2011-2021 3.11から10年目の、写真の今と未来展』@銀座奥野ビル 306号室 鑑賞メモ

3.11から10年。あの年に生まれた次女は今年の9月に10歳になる。父親が秋田出身、そのためか親族に東北出身者が多かったような印象がある。母親は東京出身というか、いくらか事情がある。

確かな話は確認のしようが無いけれど、母親の親世代、父が代官の家系で母が豪農の家系、明治に変わるかどうかの頃合いだったのか結婚が許されず、駆け落ちして東京にやってきた。

東京で始めた運送業の商売が軌道に乗り、成功したので親に許しをもらい、東京に呼び寄せた。運送業といっても、その当時は馬車であり、聞いた話だけだけど蔵もいくつかあったらしい。呼ばれた親は米屋を始めて、これも成功したということ。下働きの人も含めて大きな屋敷に家族以外も住み、賑やかだったらしい。

戦争で出身地である千葉に疎開し、戦後のどさくさで、遺産は散り散りになってしまったらしい。八人兄弟の母、東京大空襲で叔母さんの何人かが亡くなったという話も聞いた。

長男(伯父)の奥さんが青森出身。叔母さんの一人は、旦那さんが福島出身。秋田出身の父も兄弟は多かったと聞いている。

母が飲食店をやっていたこともあり、そうした伝手もあったのか、東北出身の常連客が多かったように思う。僕が小さな頃は、東北からの出稼ぎが多かった。よく遊んでもらった記憶がある。


あの地震の時、身近に感じていた地域の災害、規模が大きかったこともあるが、ショックは大きかった。

そして大手町の超高層ビルの30階に居た。もう、ビルが折れると感じた。


10年目の3.11、テレビの報道特集は見る気になれなかった。明確な理由は説明できないけれど、繰り返される同じような論調に疲れてしまったのかもしれない。


前置きが長くなったけれど、銀座奥野ビル306号室のPOST/PHOTOGRAPHY を鑑賞した。

古いビル、ギャラリーやブティックなどが入ったビルで、天井が低く、壁が厚い。現状を維持することをルールとしてテナントが入る。何を持って現状とするかは判断を委ねるという具合。

この306号室は元々美容院だった。そして、使われていたままの姿で置かれており、室内の内装は大分くたびれている。

そうした部屋に展示された写真、いわゆる写真作品と認識するような額装された写真もあるが、ほとんどは、そうした写真としての提示がなされていなかったように思う。

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写真における様々な投げかけ

そうした中で気になったのが鏡であった。

もともと美容院だったこともあり、壁に鏡が設置されている。

鏡そのものは、対面している何かを写し込む。ある意味実態のないもの。そこに移り込む展示を鑑賞する自分、作品とそれを鑑賞する自分とが、鏡の中で合成される。必然的に、鑑賞体験をリフレインすることになり、内面世界にダイブしていく。

津波から引き上げられた写真を閉じた冊子、手に取ってみる。潮に洗われた写真は時間の経過なのか、津波の被害なのか、ダメージが写真そのものの強度を上げているようであるし、震災後に出かけた女川、石巻、塩釜、松島、その光景がよみがえる。

リフレインを受けての感情移入が進んでいった。



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