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親だろうが神様だろうが知らんがな

誕生日は親に感謝する日。
小学校の時、講演に来たとても有名な作詞家さんが言っていた。産んでくれたことに感謝するのだと。親孝行をしなさいと。

いやはや素晴らしい。ええ、素晴らしいとも。
聖人君子。いいじゃないか。
何気なく投げられた一言が悲しかろうが、親の考え方が自分にとってはとんでもなく窮屈だろうが感謝感謝。
それができない私はダメなのか?まったくうるさいオヤジだ。なんて、クソガキなことを思った記憶がある。

まあそんなクソガキも大人になり、自分は自分で変えられると気付き始めた今日この頃、親に多少なりとも感謝の気持ちが芽生え始めた。
けれども、だからこそ、私は親に反発することを勧めたい。

私は昔から女の子らしい格好をするのが苦手だった。
というか、してはいけないと思っていた。分不相応だと思っていたのだ。
その原因を辿ってみれば、世間の意見ももちろんあったが、最終的には親がいた。

母は穏やかな方で、いわゆる普通のいい親だった。
けれど見てくれを気にする人で、似合っている似合っていない、派手だなどと人をジャッジする人だった。
まあ、固定概念ガチガチな人にありがちな反応をするのだ。

それが怖くて、そんな風に見られるかもしれないことが怖くて、親から何かを言われるのが怖くて、制服以外のスカートも履けず地味な格好をしていた。

大学に進学して一人暮らしを始めた時、そのタガが外れた。
なんで親のために我慢せなあかんのや。可愛いもん着させろと、ブチギレた私がいた。
何かを言われるのは怖いが、それ以上に、我慢するのがとにかく嫌だった。

血反吐吐きそうなほどの緊張と共に、某有名なファッションセンターに入って恐る恐る買い物をしたのは今でもよく覚えている。
あの頃の私にとっては入ってはいけないおしゃれな店の一つだった。

そんなこんなでおしゃれを始め、最初は「おしゃれしちゃって」みたいに言われたが、「うるせえ、黙れ」精神で乗り切った。
げ、と言いたそうな顔されようと私が好きなら良いのだと、恐怖を少しずつ捨てていった。

今ではだいぶ色んな服を楽しめるようになって、時々派手な格好もしている。
どうやら私は服自体も派手な格好も好きだったらしい。
ちなみに母も色々とおしゃれに手を出し始めた。

親の言葉や考えは、どれだけ些細でも重くのしかかる。
気付かないところで引っ掛かっていることもある。
本能的に考えても、親に嫌われるのは生存できない可能性が上がってしまうから余計に怖いんだろう。

どれだけちっぽけなことでも嫌なものは嫌でいい。
好きなものがあるなら、誰からなんと言われようと選んでいい。
くだらないことでも怒りが湧いたらなら怒っていい。
感情をぶちまける必要はないけれど、いい子でいる必要もない。
いい子でいても、いい事はあんまり起きない。
ただ、嫌だと思うことを自分で認識して受け入れる。怒りを感じたなら想像上だけでも怒り倒して感じきる。

一番の親孝行は子どもである自分が幸せであること。
小さい頃、親が幸せそうだと嬉しかったように。
自分が幸せを感じられたら、大なり小なり、いつか感謝も湧いてくる。
自分を大切にできれば人を大切にできる。

嫌なこと言ってる奴らなんて知らんがな、でいい。
相手が親でも誰であっても、たとえ神様だったとしても。

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