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理解者はどこにいる?

誰も理解してくれないのは結構しんどい。
そんな状態が続けば、人と関わるのも億劫になる。
でも、理解者が一人でもいれば、それは大きな救いになる。

そうは分かっていても、理解してくれる人を見つけ出すなんてそう簡単にできることじゃない。
ならば、自分が理解者になるのはどうだろう。
自分が自分の一番の理解者になる。

自分のことくらい、もうすでに理解しているって?
本当にそうだろうか。
私はまだまだ分からないことだらけだなと最近よく思うようになった。

私は捻くれ者の気がある。
だから、好きなものがあってもそれが人気になって騒がれ出すと好きじゃなくなることがある。
でもそれは本当に好きじゃなくなったわけじゃない。

そのもの自体はよく考えればやっぱり好きで、自分にとって嫌なのは人気なものを人気という理由で好きだと言う人がいること。
それからファンが増えると過激なファンも増えること。
そしてそんな人の一部かもしれないと思われること。

要は、他人の目を気にしているのだ。
もしかしたら、私は捻くれているという認識も少し違うのかもしれない。

他にも嫌いな芸能人やものの中にも嘘が隠れていたりする。
特に親が嫌いだというそれの中には嘘が多かった。
それを取り入れなくてはと、無意識ながらに思ってしまったのだろう。
今になって何が嫌いなのかよく考えると、そんなに嫌いじゃなかったり、むしろ好感が持てたりすることがある。
全部ではなくても、これのここは好きだなと思えたりも。

自分のことは中々よく分からない。
昔あったショックなことは、自分が思っているよりも深く傷ついているかもしれないし、何気ない一言でとんでもない傷を負っているかもしれない。
嫌いなものに大好きが潜んでいるかもしれないし、好きの中に嫌いが隠れていることもあるかもしれない。

分かってしまえば何か対処法も見つけられるし、好きも嫌いもよく分かるようになるんだろう。
そんな何でも理解者が自分自身になってしまえば、理解者は一生そばにいてくれる。
そんな最高なことはない。

だから何かが引っ掛かる時は、モヤモヤする時は、嫌だと思う時は、3分でも立ち止まって「何が」を自分に聞いてみる。
自分の理解者になるために。

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