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インデペンデンスデイ久保田との思い出①

こんちわ
なんだかんだありまして、多少気持ちの整理もついて来ました
僕は以前、線路に落ちたおじさんを電車が来てる中、ホームから降りて救助したという経験がありまして、その時の気持ちの変化や衝動を日常に戻るにつれ薄れるのが怖く、メモをしてたことがあります。
先月18日、同じ事務所のインデペンデンスデイ久保田が亡くなりました。
今回は、久保田との記憶や思い出を綴ろうかと思います。
とても主観になりますので悪しからず。
久保田との付き合いが僕よりも長い人は沢山居ます。僕なりの思い出です。
もしかすると、この出来事をいつか漫画にするかもしれません。芸人仲間に久保田との話はいつか描いた方が良いと言われました。
他の芸人には話すことしかできないけど、ナターシャは漫画にすることが出来るんだから描くべきだと。
なるほどと思いましたが、まだどうするかはわかりません。
久保田と最後に会ったのは先月の15日です。
もう1カ月経ちました。
それがあっという間に半年、1年、10年と彼との思い出はどんどん過去のものになっていきます。
そういうのが寂しくもありますし、今ぼくの頭にある記憶も今書いておかないと10年後は忘れている可能性があるので、その記録という意味で書いこうと思います。


インデペンデンスデイとの出会い

僕は元々2006年大阪NSCを卒業して2014年まで大阪よしもとで活動していました。
この記事では割愛しますが、諸々あって上京後、フリーとして活動を再開します。
ライブに少しずつで始めたのは、2015年くらいからです。
東京のツテもほとんどなく、自分から出られるライブを探してエントリーしていた時期でした。
同時期に上京したロングロングが「内さまライブ」というものに出ていて、ガンガン優勝していたことを知りました。
ロングロングも当時はフリーで、僕たちと同じように所属事務所を探しながらライブに出るような状況でした。
内さまライブはフリーでのエントリーも出来たので僕らも受けてみることにしました。
このライブはオーディションがあり、制作会社が主催しているので、その会社でネタ見せをしてオーディションに受かれば出演することが出来ます。
2回目か3回目かのオーディションで合格し、内さまライブに出演しました。
このライブの特殊なところが、ネタを他の出演者も舞台上で見るというとこです。
昔のものまね王座決定戦みたいな感じです。
他の人のネタを舞台上から見るのも珍しかったですが、ここで初めて見たコンビでめちゃくちゃ笑いました。
それがインデペンデンスデイです。
当時はコントをしていました。
名前がカッコいいから、どんなオシャレコントするのかと思いきや、大人しそうな大メガネと小メガネが人間力でツッコむコント。
意外性は置いといて、とにかくツッコミの久保田が、まぁ不安定で、噛むし、噛んだ自分にガッカリするし、ツッコミのワードも変やし、でもこの不安定感がよりリアルでめちゃくちゃ面白い。
ドキュメントを見ている気分。
「なんだこの人!おもしろー!」
ってなったのが第一印象でした。
衝撃的でその存在を知らなかったのを勿体なく思いました。
家に帰ってTwitterを調べたらアカウントを見つけたので即座にフォロー。
すぐDM送りました。
Twitter探したら、その時のDMが残ってました。


当たり前やけどお互い敬語

最初のDMで飲みに誘うの単刀直入すぎ。
まぁライブで一緒になってますからね、誰かはわかってますし。
ちなみにこの次の日に飲みに行ってます。
高円寺の馬力です。
僕らはそこで初めて飲みました。
久保田はお笑いマニアで、僕らのことを知っていて、実は芸歴が一緒の同期だと判明してとにかく楽しかった記憶があります。
2015年の5月30日。8年前。
5月30日は高円寺の馬力に行ってみようかなと思います。

続く

夏ですね スイカでも食いたいもんですわね