暇空が茜になったのは僕のせい。

以前の記事で、琴葉姉妹の版権元のエーアイは暇空の存在を怒らせると怖い事になる程勢力を増す前から知っていたにも関わらず何もしなかった事から、エーアイは冷酷な営利主義の企業だと書いてしまいました。

然しつい先日、エーアイが暇空が勢力を付ける前に対処を行っていた可能性が浮上しました。

上の記事でも言及していますが、一昨年の11月21日に、暇空のアイコンがDMCAの通報を受けた事により暇空のアカウントが一時凍結されました。

このDMCAは本当ならエーアイからの通報だと考えられますが、そうだとすると何故動画の方でなくアイコンを削除したのか等の不自然な事が多い為、このDMCAは虚偽だと考えられていました。

ところが先日旧Twitter上のDMCA情報が記録されてあるLumenデータベースを調べた所、エーアイが以前DMCAを行った記録が見つかりました。

この時期は丁度「過激な葵ちゃんアカウント」という、琴葉葵のアイコンで葵ちゃんのイラストを描いた人に誹謗中傷をするアカウント軍団が問題視された時期であり、このDMCAはその件に関しての物と見て構わないでしょう。

残念ながら、旧Twitterは2021年4月からDMCAの発信者情報を削除してLumenに送る様になったので、直接暇空へのDMCAがエーアイからか確認する事は出来ませんが、この事実からその可能性は高いと見る事が出来ます。

というのも、態々動画ではなくアイコンを通報したのはそっちの方が以前経験があるから、その後アイコンが差し替えられた時に再度DMCAを行わなかったのはその時には既に多大なフォロワー、カンパが集まっていて、迂闊に暇空に手を出せない状態になっていたからと、不自然な事実に色々と合点が行くからです。

僕はこの事実を知って、エーアイはやっぱり本心では暇空を止めさせたがっているんだと安心しました。

が、それよりも強い後悔に襲われました。

何故なら、僕はエーアイが初めて問い合わせを受けたであろう11月7日よりずっと前の、9月15日から暇空茜を知っていたからです。

僕は暇空のポストを見て、このアカウントの言っている事は恐らくデマだと判断し、このアカウントがやがて悪名高いを轟かせるであろう予感もしていました。またその時はフォロワー数はまだ1万にも満たず、本当に無名な存在でした。

その時にエーアイに問い合わせていれば、最初からこの様な事は怒らなかったのです。

僕にはその先に起こり得る悲劇を事前に察知する機会も、判断力も、それを止める力も全て与えられていました。

でも、この上なく不幸な事に、当時はADHDの治療薬であるコンサータの鬱病を悪化させる副作用のせいで、9月11日から何も手が付かない状態でした。

9月11日からポストが途切れた様子

10月30日からコンサータを抗不安剤と一緒に服用し始めて、その後徐々に回復して行くのですが、11月7日にはもう既に暇空はエーアイに問い合わせされており、僕から問い合わせたのは12月5日でした。

ここからは、僕がどうしてコンサータの副作用に苦しんだまま9月15日を迎えてしまったのか詳しく語るため、僕の人生を振り返ってみようと思います。

小学生の頃はあまり思い出したくありません。ASDとADHDのせいで毎日学校でトラブル尽くしで、母は一年生の頃にアルコール中毒で他界し、全てが悪い記憶とは言いませんが全体的に暗い時代でした。また6年の頃、マイクラのMODで結月ゆかりを知ったのを切っ掛けに、ニコニコの合成音声界隈を知り始め、琴葉姉妹の事も知りました。

中学校に入ったら、心を改めた結果トラブルは殆ど無くなりました。然し、程なくして親の都合で上海のマンションに三年生の夏まで転勤して、趣味の外出の機会が減ったり、中国政府の情報検閲のせいでニコニコ等の日本の動画サイトを見る事が難しくなったり等、ストレスが結構増えました。でも振り返ってみれば何だかんだで良い時代でした。

高校に入ってからは、東大に入ろうと、一年生の頃までは色々と頑張っていました。然し、二年生の頃からはボロが出始め、自分のADHDの症状を再び自覚し始めました。

ですが、幼い頃強く頭を打った記憶があったのを機に、自分はADHDではなく高次脳機能障害で、僕は本来良い人生を送る筈だったがその事故のせいで台無しになったと思い込む事で自分の駄目な所を正当化しようとしました。

ところが脳のMRIを取った結果正常だったので、自分のADHDの症状を見直して、自分の人生をより良くしようと思って努力をし始めました。

そして三年生の頃、ADHD当事者は精神科の診断やコンサータという薬で症状が劇的に改善されるという情報を知って、僕もそれを試してみようと考えましたが、父親に反対されるかもと思って大学生になって一人暮らしを始めてからにしようと考えました。これが人生最大の過ちでした。

地元の大阪上京して大学生になってからすぐ、近くの精神科を予約し始めました。初診を取るのは大変で長引きましたが、何とか5月14日に取れて、その後診察を受けて、7月2日にコンサータを服用し始めました。ちなみにコンサータの服用には父親からの許可が必要で結果問題無く貰えたので、精神科の診察は高校からで大丈夫でした。

最初の方は順調でしたが、後にコンサータの副作用である鬱病の悪化のせいで、服用すると忽ち強い不安感に襲われるようになりました。ですがこれを飲まないとバイトを続けるのが困難になるので服用し続けました。しかし不安感の増大のせいで次第に生活状況が悪化していきました。

大人になってからADHDの症状に向き合い始めた人は大抵、今迄の失敗経験から鬱病や不安障害等の二次障害を患っており、ADHDの当事者達は大抵抗鬱薬や抗不安剤を服用していますが、自分には必要無いだろうと思っていました。

そして8月21日、別のADHD治療薬であるストラテラを服用し始めました。ですが効果は殆どなく、9月11日に再びコンサータを服用し始め、より副作用に苦しめられる様になりました。そして前述の通り、その苦しみの真っ只中に暇空茜の存在を知るも、副作用のせいで何も出来ませんでした。

そして10月30日にコンサータと一緒に抗不安剤のスルピリドを服用し始め、徐々に生活状況が回復していって、ようやく人並みの人生を送れる筈でした。

しかし、その矢先に以前予測した通り暇空茜が悪名を上げ始め、来年6月迄エーアイが対応してくれるだろうと楽観論を抱いていましたが、徐々にその信頼は崩れ始め、8月には今迄人生で経験した事の無い程精神を傷つけ、大学もバイトも不可能になってしまって現在に至ります…

もし僕がもっと早くに自分に向き合っていたら…
もし自分がADHDに向き合う事から逃げなかったら…
もし父親を信頼していたら…
この悲劇は今迄僕が人生を誠実に生きていたら起こる筈は無かったでしょう。

世界へ、これからは僕は向き合うべき事から逃げる事無く、身の回りにいる人達を愛し合って生きていきます。

なので、茜ちゃんを守って下さい。

僕の人生をやり直させて下さい。


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