きっかけとなった言葉たち
もう随分と昔のことになるけれど、当時拙いながらホームページを作っていて、その中に「日本語は難しい」というコンテンツを載せていた。
20年以上前のことだ。
ビルダーなどという高価なソフトは買えないので、ウィンドウズのアクセサリーにあったフロントページエクスプレスを使っていた。
アニメーションを入れたいとか、そのソフトでは出来ないことをしたくなると、ソースを開いて見様見真似で修正し、試行錯誤しては自己満足していたのが懐かしい。
そのページも、今はプロバイダーのサービス終了に合わせて消して、と言うか消えてしまった。
もっとも、各コンテンツは長いこと放置していてブログだけを更新していた状態だったので、別段未練はなかったのだけれど。
「美しき日本語」のタイトルでnoteに書き始めたのは、そのコンテンツを思い出してのことなのだ。
今回は、当時のネタで覚えているものを改めて書いてみたくなった。
「対岸の火事」
民放のニュースだったと記憶している。アシスタントの女性アナウンサーが、あるニュースについてコメントを入れた。
具体的にどんなニュースだったかは失念してしまったけれど、確か災害関係の内容だった気がする。
女子アナ曰く「この件を対岸の火事として、皆さんもどうかご注意ください。」
聞き間違えてはいないと思う。確かにそうコメントしていた。
「対岸の火事」って、「他人にとっては重大なことでも自分にとっては痛くも痒くもない何の関係もないこと」という意味だと思う。
だから、件のコメントは「この件を対岸の火事と思わず、皆さんもどうかご注意ください。」が正解なのだと思う。
対象となっていたニュースが所謂人災によるものであれば、「他山の石」や「反面教師」といった表現でも良かったかも知れないが、自然災害とかの不可抗力的なものだったような気がする。
「対岸の火事」という言葉を選んだことまでは、間違いと言う訳ではなかったのだ。
勿論、どう考えても視聴者には女子アナの意図するところは伝わっていたと思う。
だから、こんなことを言い出すと揚げ足取りの偏屈オヤジと叱られそうだ。
でも言いたい。ほんの二三文字の違いで文章の意味するところが変わってしまう日本語。
気を付けねばいけないね。
「捕らぬ狸の皮算用」
そもそも、かつてのホームページで「日本語は難しい」というコンテンツを作ろうと思ったきっかけは、当時職場の同僚だった某女史の存在だった。
決して仕事ぶりがよろしくなかった訳ではない某女史だったが、言動は時としてぶっ飛んでいた。
微妙にズレた表現を多発する傾向があったのだ。
今時で言うなら「天然」と言って良いのかもしれない。
そして、そんな発言を聞く度に「おいおい、それを言うなら○○だよ」と、訂正することも多かった。
傍から聞いていると、ボケとツッコミのような会話だったことだろう。
そんな某女史もとうの昔に寿退職し、今や立派に主婦業そして母親業に邁進しているようだ。
今でもあの頃のようなぶっ飛んだ発言をしているのだろうか?
そうだったら何となく嬉しかったりもする。
そして、そんな中で一番印象に残っているのが、「虎の狸の皮三昧」という何ともシュールな言葉だ。
最早、どんなシチュエーションでの発言だったか思い出すことも出来ないが、発せられた言葉だけはしっかりと脳裏に焼き付いている。
しかも、当の某女史の声によって脳内に再生される。
良く通る声だ。
一体なんだったんだろう?何を言いたかったんだろう?
間違いなく言えるのは、彼女は「捕らぬ狸の皮算用」と言いたかったということだ。
そもそもが誤用だったかも知れないけれど、間違いなくそう言いたかったのだ。と思う。
だからこそ、「言い間違い」として未だに覚えているのだと思う。
彼女の名誉のためにも。ここは「言い間違いだった。使う場面は合っていた。」ということにしておきたい。
果たして実際にはどんなシチュエーションだったのか?その答えは二度と得られないのだろうな。