遠雷
厳しい冬の寒さが、三月の声を聞くと同時に和らいだ。
つい先週まで冷たい北風にコートの襟を立てていたというのに、強い南風に吹かれながらコートを纏って歩いていると暑さを感じてしまうほどだ。
昨日は、家の中でDIYよろしく少しだけ力仕事をしたら、思いのほか汗ばんでしまった。
今朝は、ベランダで洗濯物を干すべく雑巾がけをしていたら、手摺りの黒い部分に花粉らしき微細な粒子が散っているのを見た。
既にひと月以上前から花粉には悩まされているけれど、こうして目前にすると更に憂鬱になる。
本格的な花粉の季節の到来だ。
思えば若い頃は花粉症とは無縁だった。
春先のゲレンデの心なしか黄色っぽい空気の中でも、平然とスキーに勤しんだものだ。
世間の花粉症の人々が、風邪でもないのにマスクを装着し、人によってはゴーグルのようなメガネをかけているのを見て、口には出さないまでも批判的な、ともすると侮蔑的な視線を送ってしまっていた。
それが今では、感染症対策の御旗の元、日々しっかりとマスクを装着して出歩き、内服薬を飲んだり点眼液を差したりして、花粉の魔手から逃れようと一生懸命になっている。
勝手なものだ。
なんにせよ、寒の戻りはあるかも知れないものの世間はすっかり春めいて来たのだ。
またまた横道に逸れてしまった。今朝方の話に戻ります。
洗濯物を干そうと雑巾がけを始めると、どこからともなく地響きとまではいかないまでも、低く籠ったドーンドーンという音が聞こえて来た。
この地は航空基地が近いのでヘリコプターや大型のプロペラ機が低空で飛ぶことが多く、その際に聞こえる音は低く籠ったものだ。
けれどもその音とは違う。エンジン音とは異なる連続性に欠ける音がする。
見上げれば、頭上は晴れているものの北の方には低い雲が目立っている。
音の正体はきっと雷だろう。
西側と北西側のそれ程遠くない辺りに山並みを控えているという土地柄、空模様が怪しい時などには時折山間部で発生する雷鳴が聞こえることがある。
低く籠った音で、ドーンドーンと聞こえてくるのだ。
脳裏に「遠雷」という言葉が浮かぶ。
「遠雷」を辞書でひくと「遠くの方で鳴る雷」と解説されている。
そのまんまだ。読んで字の如し。
ただし、辞書にはもう一つの解説事項がある。
「遠雷」とは夏の季語。
季語という以上は、その季節に限定された事象を表す言葉だろう。
俳句で言うところの「夏」とは立夏から立秋の頃。つまりは5月初旬から8月初旬の時期のことだ。
「遠雷」とはその頃の季語ということになる。
でも、今はまだ3月に入ったばかり。
すると、あの音は「遠雷」とは呼ばないのだろうか?
ふと思う。
海の向こうでは新たな戦火が燃えつつある。
砲撃の音は、自衛隊の演習場の音ぐらいしかリアルには聞いたことがない。
もし、この国に戦火が燃え移ったとしたら、遠くに見える山際の辺りに砲撃が加えられたとしたら、その時にはこんな音が聞こえるのだろうか。
テレビニュースでは、かの国の人たちが砲撃の音、銃撃の音に恐怖している映像が流れている。
怯えて泣く子どもたちが映し出される。
避難する人並みの中、飼い主の腕に抱えられたペットの子犬が不安そうな悲しい目をして首をうな垂れていたのが印象的だった。
この国で、自分の身近で、そんな光景は目にしたくない。
そんな音を耳にしたくない。
音の正体が恐らくは雷であることに、束の間の安息を覚えた。
雷の音は、いつまでも雷の音であって欲しい。