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白銀の思い出 その2


放置していたスキー専用バッグ

かつて冬場になると毎週のように通っていたスキー場。

日帰り単独行が多かったと雖も、その都度そこそこの分量の荷物を携えて出掛けたものだ。

交通手段はほぼ100%クルマだったから、荷物運びに苦労した記憶は殆どないものの、単独行動が多かったから、いろんな荷物をコンパクトに纏めないと行動に支障が生じてしまった。

独りの時に行ったり来たりは、防犯的な意味でもしたくはなかった。

なので、バッグは大小取り揃えていた。

そしてスキーから離れてしまった今、収納の場所ふさぎになってしまうスキー専用のバッグは実家に置いたままにしていたのだった。

大型の専用バッグは2つ。ともに空ではなかった。思い付いたら即座に出掛けられるよう、必要なものは入れっぱなしにしておくのが常だった名残で、スキーに関する物品が入ったままになっていた。

さて処分を検討しないと。

バッグや中身はどうしたものか

バッグに入っているものを次々と出してみる。

スキーパンツ、帽子、グローブ、ウェストバッグ、ビニール袋、軍手、洗面セットなどなど。

スキーを始めた当初は、今とは異なりスキー専用のパンツにジャケットという出で立ちが主流だった。

スキーパンツは「トレンカ」と呼んでいた記憶がある。今にして思えば、トレンカ(正確には「トレンカー」)とスキーパンツは形状と使用法が異なるので、間違って呼んでいたのだと思う。バッグの中に自分用と妻用の2着が入っていた。

スキーから離れることにした時点ではジャージにオーバーパンツというお気楽な出で立ちで滑っていたので、このパンツは30年ぐらい使用せずにバッグに入れたままになっていたのだと思う。

入っていたバッグもエナメル仕立ての古いタイプのバッグで、途中から使わなくなっていたものだ。

そして、当然のことながらスキーパンツの裾のエッジガードの部分が加水分解して粉々に剝がれていた。

これは迷うことなく処分するしかない。

意外だったのは帽子やグローブ。最後まで使っていたものは自宅に保管しているので、ここにあるのはそれ以前に使っていたものたち、つまりは20年以上使用していない物ばかりだ。

にも関わらず色落ちやシミがない。防水加工のおかげなのかも知れない。

なので、どうするかは少しばかり保留する。

その他のウェストバッグとか部品的なもの、そして消耗品類については、使い古されていたり使えなくなっていたり、もう処分するしかないだろう。

そしてバッグそのものについては、古い方のエナメルバッグは廃棄するしかないだろう。良く働いてくれたけれど、普通の旅行に使うものでもないし、なにせ古いので傷んでいたり錆びていたりして到底人に譲れるものではない。

新しい方は実は数えるほどしか使用しておらず傷みはほぼない。機能的にもかなりのスグレモノ(今や死語か)で素材も今風だ。これは人に譲るなり出来るだろう。

分別作業は意外なぐらい早々に終了した。

ひとつの紙袋を除いて。

チケットで呼び覚まされる記憶

その紙袋には大量のリフト券やリフト券ホルダー、スキー場のパンフレット、宿泊施設の領収書が詰まっていた。

記念に(?)捨てないでいたのだ。

特にチケット(所謂1日券とか回数券とか)は、一目見ただけで脳裏に記憶が蘇るものばかりだ。

旅館の領収書とかにも懐かしいものはあるけれど、最早泊ったことはおろか名称さえ忘却の彼方に消え去っているものが多く、眺めていても今一つ思い出に浸りきれない。

券面にはスキー場名、日付、金額などが記載されている。

さんざん通ったお気に入りのゲレンデ、スキーブームが去りスノボブームには乗り切れずに消えて行ったゲレンデ。

経営や運営の苦労もろくに知らずただただ遊んでいた身にとっては、じっと眺めていると懐かしさがこみ上げるとともに複雑の心境にもなる。

振り返ってみれば、自称独学スキーヤーとして下手の横好きスキーを10数年続け、ミニスキーやカービングスキーにも触れ、最終的にはスノボにもトライしたものの、勝手な事情で10数年前にきっぱりと白銀の世界から離れた。

けれども、楽しませてもらったスキー産業の方はそう簡単に方向転換出来るものではない。したくもないだろうし、したくたって出来ないだろう。

閉鎖したスキー場、転用されているスキー場。スキー用具のメーカーや販売店だって同様だろう。

そのことを思えば、特に困ることもなく独り思い出に耽っている自らが恥ずかしくもある。

年齢や体力、経済力等を考えれば、今後ゲレンデに立つ日はおそらくないだろう。

自称独学スキーヤーには、自らのスキー歴を証明するものは皆無だ。賞状や免状の類などない。

けれども、目の前にあるチケットの山は、間違いなくそこに記された日にそこに記されたゲレンデに自らのシュプールを残したことを証明してくれている。

そう思い、これは処分してはいけないとの思いに至った。

自己流だろうが何だろうが、一定期間一生懸命打ち込んでいたものなんだから、何もなくなってしまうのは寂しいものだからね。