「人いきれ」
夏場でも冬場でも、混雑したバスや電車の車内は空気が淀んでムッとする。
そんなものが好きな人はあまりいないとは思うけれど、あれは嫌だ。
文字通り息苦しい。あれを「人いきれ」と言うのだろう。
長いこと「人いきれ」の「いき」は「息」だと思っていた。
沢山の人が閉鎖空間に居るから、人々の呼吸、主に吐く息で室温も湿度も上がり息苦しさを覚えてしまう。
その「吐く息」「吐かれた息」のことだと思っていた。
関係ないけれど、「吐く息」ならば吸ったり吐いたりの吐く方の息のことだけれど、「く」を抜いただけで「吐息」となって「ため息」「嘆息」の意味になってしまう。
これだから日本語は面白い。
英語にもあるのかな?何文字か中抜きすると意味が変わる単語とか。
思い付かない。
話を戻すと、そんな訳で「人いきれ」は「人息れ」だと思っていた。
「れ」は何なのか。さして疑問に思ったことはない。
「息切れ」の「れ」を想起することで自然と受け入れていたのかも知れない。
共通点は「息」だけで、意味するところはあまり関係ないのに。
そんなある日、書きものをしていて「人いきれ」の「いきれ」を漢字で書きたくなった。
人に見せる文章なので、「息れ」は何だか怪しく思えて来た。
パソコンの日本語システムで変換しても、それらしい候補は出て来ない。
手元に辞書がなかったのでネットで検索してみる。
すると、「人熱れ」となっているではないか。
読めない。「ひとあつれ」か「ひとねつれ」ぐらいしか。
「人熅れ」という漢字もあるようだ。
もっと読めない。「熱」と「熅」では音読みだって違うではないか。
読めない文字を無理無理使うより、「人いきれ」のままの方が無難かも知れない。
調べてみると、「熱れ」にはムシムシとした熱気とか火照りの意味があるようだ。
なるほど、「人」が集中することで「熱れ」が生じる訳だ。
つまりは人の吐く息の熱ではなくて、人の体温による熱なのだな。
「熱る」という動詞があって、それが名詞化したようだ。
改めて調べてみると、「息」には動詞が無いようだから「息れ」は却下だ。
造語として「息る」(生きる)などと使用している例はあるようだけれど。
考えてみれば「人いきれ」の他にも「草いきれ」という言葉もある。
確かに植物だって「呼吸」はするけれど、人の呼吸とは仕組みも何も異なる訳で、「草息れ」は変だろう。
「人いきれ」と違って、草の存在をもってして「熱る」訳ではないけれど、草の生えているところが暑くてムシムシするのだから「草熱れ」で理解出来る。
ここでも「息れ」は却下だ。
何気なくイメージに合わせて使っている言葉。
イメージがズレてさえいなければ表面上は誤用の発覚はないけれど、実は結果オーライ状態だったりする。
日本語ネイティブ故に気付かない日本語の難しさ。
まだまだ学びは足りないようだ。