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使わなければゴミとなる

実家の押し入れの整理が殆ど終わりつつある。

残すところ1階の1か所と2階の2か所だ。

残っているということは一番気が重い、或いは逆に楽しみにしているところでもあるのだけれど。

そのうちの2階の1か所を整理した。

出て来たのは未開封のシーツと、スキー用品、テニス用品などなど。

未開封のシーツについては、既に記憶にないけれど頂き物と思われ、比較的新しく、シミなどは見当たらない。なので、使わないならリサイクルに出せる。

スキー用品は主に小物類。グローブやゴーグル、帽子類などだ。

革製のグローブは使用感十分で、しまいっぱなしだったからカチカチになっている。

ゴーグルはスポンジやゴムの部分が劣化しているし、レンズも曇ってしまっている。

帽子類は汗染みが変色していて洗って落ちるものでもなさそうだ。

何より、もうスキーに行くことはないだろう。使えたとしても使う充てがないのだ。

感謝を込めて燃えるゴミの袋に詰める。

靴類も出て来た。

実家から独立するまで自分で使っていた部屋の押し入れだけれど、見覚えのない靴もある。

誰のだ?

恐らくは、父や兄のものだろう。一部は自分の物だと思うけれど。

いずれにしても、20年も30年も40年も眠っていた靴たち。すっかり硬化していてこのままでは履けそうもないし、自分の物と思われるものもピッタリ過ぎて靴擦れしそうだ。

何より、何らかの理由をもって履かなくなった靴たちと思われる。

特にプレミアが付くような希少な靴ではないし、勿体ないと暫し悩むにせよ結局は廃棄するしかないだろう。

そう思う。

テニスラケットも2本出て来た。自分のものと妻のものだ。

70年代の第二次テニスブームの名残が十分に感じ取れるウッドのラケット。かなり使っていたと思うけれど、グリップにはカビひとつない。

昨今のラケットと比べるとかなり小さい。大きさと言うかガットの面が狭い。

ちょうど自己流テニスで遊んでいた頃、世にデカラケなるものが登場した。

スイートスポットが広く、柔軟性に富んでいて、見た目に反して軽かったけれど、当初は随分と高額だった。

しばらくはウッドを愛用していたけれど、そののち流行りのラケットに買い替えた。それは自宅のどこかにあると思う。

このラケットについては、恐らくは使うことはないと思うけれど、今となっては新鮮。いつか自分の趣味の部屋を模様替えする時に壁に掛ければ絵になるかも、などと思いつつ処分はしないこととした。

そして、最後に一番重い箱を開けてみる。スキー靴の箱だ。

箱と中身は一致していなかったけれど、中から出て来たのは自分が生まれて初めて買ったスキー靴だった。

ところが、箱を持ち上げるとオーシャンドラムよろしく「ザー、ザー」などと音がする。

中を検めるまでもなくすぐに判った。

加水分解だ。

スキー場に行くと、最近はどうなのか知らないけれど、かつてはちょくちょくスキー靴の破片が落ちているのを見かけたものだ。

ソールだったりシェルだったり、部位は様々でも共通しているのはプラスチック素材の部分ということ。

プラスチックやウレタン素材は、長く使用せずに押し入れとか物置に放置していると、水と結合してボロボロになってしまうのだ。

身近で一番経験があるのは靴。

大切にしていた靴をここぞとばかりに履いたは良いけれど、玄関を出てバス停に着くまでにソールが消えてなくなってスリッパみたくなっていたこともあった。

件のスキー靴は、勇気をもって取り出してみると、バックルの付け根とかちゃんと乾かして室内保管していたけれど、実は水分が残っていたのかも?というような部分が完全に粉状になっていた。

これじゃ専用のデカい箱がオーシャンドラムと化していたことも頷ける。

こうなってしまってはどうにも活用のしようもなく、我が自治体のルールに従って燃えるゴミの袋行きとした。

これ以外のスキー靴とスノーボード用のブーツは、それぞれ専用のケースに入れて隣の物置部屋に纏めてある。5、6足か、もう少しあると思う。

果たして水分の脅威に打ち勝っているのだろうか。

恐くてその日は検めなかったけれど、正直なところ加水分解のひとつもしていてくれた方が、未練なく捨てられるのかもしれない。

「道具」は使ってこその「道具」なのだね。