三つ子の魂
テレビのニュースはよく見る方だと思う。
だいたいテレビを見るとしたらニュースかバラエティ、時々歌番組だ。
以前はドラマも好んで見たけれど、毎回見なければいけないという束縛感が何となく嫌で(束縛されている訳でもあるまいに)近年は殆ど見ない。
朝の連ドラぐらいだろうか。それだってニュースの延長で何となく見ているだけだけれど。
そして、ニュースを見ていると当たり前だけれど流れる内容は好ましいものばかりではない。
いや、寧ろ好ましからざる内容の方が多いかも知れない。
この2、3年は、コロナコロナにワクチンワクチンと、ニュースでは必ずと言っていいぐらい毎回連呼だ。
まぁ、一般民衆の意識を高めて社会全体の安全を図る為だから、それもまた当然のことだと理解は出来る。
けれど、一日に何回もニュースを見るたびに連呼されるとなると、正直なところ辛い気持ちにもなる。
そこに持ってきて、今度は戦争だ。
感染症だって勿論恐いけれど戦争はもっと恐い。
何故って人間が仕掛けていることだから。
感染症の場合だったら殆どの場合天然自然の現象と受け止められるけれど、戦争となると元になるのは人間以外の何ものでもない訳で、やるもやらぬも人間次第だ。
ここで歴史を語るつもりはないし、そもそも語るだけの素養も見識もないけれど、古来から人間は絶えることなく争い続けて来た。
現代であっても、世界中の幾つもの地域で紛争は起き続けている。
原因は様々だ。
日本に籠っていればテレビ画面や新聞紙上で目にすることはあるものの、一般的な日本人が直接的にそれを肌で感じることはないように思える。
身内や友人・知人が戦禍に巻き込まれることも通常は殆どないだろう。
日本は平和だ。
完全とは言わないまでも、比較的平和な国なのだ。
けれども、島国に籠っていたって風は必ず吹いて来る。
遥か彼方の戦火が飛び火することだってあるはずだ。
少なくとも、経済分野では必ずとばっちりを食うことだろう。
不況なのか物価の上昇なのか、何がどうなるかは素人には予見できないけれど、これだけの世界レベルのトラブルが起きれば、多かれ少なかれ確実にその煽りを食って仕舞うに違いない。
なぜ人は反省しないのだろう?学ばないのだろう?
前の世紀にあれだけ甚大な損失を被った戦争を幾度も経験しておきながら、結局また争ってしまう。
「三つ子の魂百まで」という言葉がある。
人の性格は三歳ぐらいまでに形成され百歳になっても変わらない、といった意味だと思う。
ちなみに、恥ずかしながら高校生ぐらいまで「三つ子」とは多胎の「三つ子」と理解していた。
だから、意味など解る筈もない。なんで「三つ子」だと百歳まで生きるんだ?などと筋違いの疑問が湧くばかりだった。
そして、何がきっかけだったかはすっかり失念してしまったけれど、ふとしたきっかけで「三つ子」とは三歳児のことと知った。
そもそも子どもの頃は、「三つ子の魂百まで」などという言葉は使う機会がなかった。
使う機会がないのだから、中身を理解していないのも仕方ないと言えば仕方ない。
考えれば解りそうなものだけれど、使わない言葉について考えることなどないだろう。
かくして、我がボキャブラリーにやっと「三つ子」が加わったのだ。
戦禍の記憶はそれを経験した一人ひとりの心に確実に染み込んだ。
けれど、残念なことにそれより先に争う心が染み込んでいた人々がいる。
或いは、人ではなくて国家や組織なのかも知れないけれど、生まれて間もない頃に争う心を身に着けてしまった者たちがいる。
幾つになっても、いつの時代になっても、争う心は消え去らないのだろうか。
三つ子の魂として。