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母はスーパーウーマン

私の母はスーパーウーマンだった。

母として、妻として、娘として、そしてひとりの女性として完璧すぎるほどなんでもできた。

歳を重ねても探究心が衰えることはなく新しいものにも挑戦する。

明るく社交的で友人も多く、娘の私が呆れるほどにしょっちゅう食べ歩いたり旅行したりしていた。

子どもたちが自立した後は自分の母親の介護に明け暮れていたので、介護から解放されて自分の時間を謳歌していたのであろう。

それでもとにかくスーパーウーマンなので、妻業、母業も抜かりない。

定年退職後、出不精になりがちだった父を色々連れ出したり、遅くに飲んで帰ってきた父を駅まで車で迎えにいったり。

私の子どもたち、すなわち母にとっては孫の面倒もよくみてくれた。

赤ちゃんの時はもちろん、小学生になってからも月1は車を1時間以上走らせて遊びにくるし、運動会は発表会の時は必ず見にきてくれた。
みんなで集まる時はとびきり美味しい料理を差し入れてくれるし、お正月料理なんてもう目を見張るほどだった。

60代になってからは祖母の介護のため、片道5時間くらいのところまで車を走らせて面倒をみていた。しかも月1ペースで。

祖母は気性が荒く、手伝いに来た母に対してひどい言葉を投げかけることが日常茶飯事。

「あんなこと言われて、よく面倒みに行く気になるね。」
珍しく同行した私が帰り際呟くと、
「あのくらい平気よ。」
とさらりとこたえていた。

体も丈夫で、滅多に風邪もひかない。

そんな母が、腹痛に悩まされて病院に行った。

60代後半のことだ。

大腸内視鏡検査を受けるとのことで、
「下剤を飲むのが嫌だなぁ。」
なんて言っていた。

それを聞いて、
「うわぁ、それは大変だ。」
なんて軽く流してたっけ。

不摂生はせず、大病もしたことがない母。

本人も私も、大変なことがあろうなんてほとんど考えていなかった。


検査後、母から連絡があった。

「大腸に腫瘍が見つかったの。ステージ1じゃないかとのことだけど、手術で取ることになった。」

予想だにしない連絡だった。
心臓がバクバクした。

母に腫瘍なんて似合わない。
初期なようだし、手術で悪いものを取ったらすぐによくなるはずだ。

自分自身に言い聞かせるように、そんなことをずっと考えていた。


手術の日は、父も、兄も、叔父も、そしてもちろん私も病院にいた。

手術室に入る前に、何にも泣き言や不安を訴えない母。
こっちの方がよっぽど動揺していたんじゃないだろうか。

手術室から出てくるまでの時間は、とにかく長かった。
3時間ほどだったと思うが、感覚的には倍の時間が流れたようだった。

手術室から、麻酔でまだ意識が少し朦朧としている母が出てきて力弱く微笑んだ。
ほっとして、涙が出た。

母が休んでいる間に、主治医から手術の結果を聞いた。

腫瘍が腹膜にも飛んで、「腹膜播種」が認められたとのこと。

なんだそれ。

なんだかよくわからないけど、思ったよりも悪いということなのか?


嫌な心臓のバクバクが再び戻ってきた。


詳しい検査結果が出るのはまた1週間後くらいだったか。

不安な日々が始まった。
嫌な予感が当たらなければいい。そう願い続けた。


検査結果報告の日、父と共に病院へ行った。

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