見出し画像

じいちゃんばあちゃんと戦争

実家の母屋には母方のじいちゃんばあちゃんが住んでいた。
2人は私が物心ついた時には、畑と田んぼで野菜とお米を作っていた。小さいときは一緒に運搬車に乗り込んで畑に行って遊んだりしていた。

ばあちゃんは足が悪くゆっくりしか歩けず、耳もかなり遠かったので、テレビはいつも爆音で、じいちゃんと喋る時も何回も聞き直していた。
じいちゃんは何回でも喋りかけていた。

マスオさんもビックリするくらいのカカア天下で、いつもばあちゃんに怒られている、そんな関係だった。


ばあちゃんの昔話

ばあちゃんが育ったのは台湾だった。
ばあちゃんはお嬢様だったらしく、家にはお手伝いさんが何人もいる、そんな暮らしだったらしい。
戦争が原因で日本に戻ることになり、兄弟はバラバラに、何人かは連絡も取れなくなった。
生前は会えるなら兄弟に会いたいと言っていた。

お嬢様だったばあちゃんが何を間違ったか全然裕福じゃない農家のじいちゃんに嫁いだのか不思議だった。

じいちゃんは何度か体調を崩して入院することがあった。お見舞いに行ったばあちゃんは、じいちゃんが他の女の人〔高齢〕に取られるんじゃないか心配していた。
母と叔母は
「誰がこんなじいさんに言い寄る人がおるんよ」
と笑っていた。
それくらいヤキモチ焼きでじいちゃんの事が好きだった。

じいちゃんの人柄

じいちゃんは農家の他に、近所の建設会社の手伝いでアルバイトのようなことをする時があった。

ある日、数日働いた給料を受け取って帰ってきたときのこと。
日当で働いたその給料が、働いた分より多く入っていたらしい。
実は建設会社が、よく働いてくれたから色を付けてくれていたのだ。
普通なら、ありがとうございます。って話なのだがじいちゃんは違った。

じいちゃんは会社に戻って、
「こんなに働いてないので受け取れません」とお金を返して帰ってきた。
じいちゃんが近所の人から信頼されていたのは、こんな馬鹿正直なとこだったのだろうと思う。

そんなじいちゃんも風邪を拗らせて肺炎になり亡くなった。
じいちゃんの葬式で、じいちゃんの最後の言葉は何だったのかを聞いた。


じいちゃんの最後の言葉

実家の2軒隣に私の幼馴染の一歳上の先輩がいた。その家にはお婆さんが居て、お爺さんは居なかった。ずっと昔に死んだってことは知っていた。

じいちゃんの最後の言葉は、おばあちゃんにでは無く、そのお婆さんに向けたものだった。
「〇〇さんを助けられなくて申し訳なかったと伝えて欲しい」

じいちゃんは同じく戦争に行ったそこのお爺さんを助けられなかったことをずっと後悔していたらしい。
そもそも助けられるような状態だったのか、近くに居たのかなんてもう分からないが、生きて自分だけ助かったことがずっと心の中にあったのだと思った。

それを聞いたとき家族みんなで泣いた。
最後まで真っ直ぐなじいちゃんだった。
自慢のじいちゃんだと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?