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中学時代

中学校は私の家から自転車で約30分。
山を一つ越えて、二つ目の山の頂上にあった。

毎日自転車で山を越えたおかげで、身体が引き締まってそれなりに運動が出来るようになっていった。

中学校は私の住む町の小学校を3校分集めた学校で、確か同級生は78人、全校で250人くらいだったと思う。

部活は強制入部だったが、人数が少ない為に人気スポーツは無かった。男子は、野球、バレー、柔道、剣道、美術、これだけ。
スラムダンク 世代なのにバスケは無い、サッカーも無い、ソフトの苦手意識からバレー一択になっていた。

この頃にはそれぞれの家族構成を気にする人間も居ないし、同じ小学校の友達も母子家庭ってどんなものか分かる年頃で、何も言われなくなり、楽しい青春時代になっていく。

1年の頃は、各小学校で集まる傾向も、徐々に部活単位で友達の輪が出来るようになっていった。


私の家の2軒隣に、幼馴染の一歳歳上の先輩がいた。その人は近所でもみんなに慕われ憧れの先輩だった。
勉強も出来る、バンドをやってる、生徒会長をやってる。
私の自慢の先輩で、目標だった。
私も後にバンドと生徒会をやることにした。

その先輩が3年の時にバスケ部の先輩と付き合っていて、その繋がりで私にも初めて彼女が出来た。二年生の終わりの話。付き合ってから知ったのはその子も母子家庭だった。

付き合うといっても、帰りに学校から山を下る間を一緒に帰るくらい。
友達から彼女って形になっただけで、私は突然ヨソヨソしくなって本当につまらなかったと思う。

それでも一度だけ休みの日に彼女の家に遊びに行ったことがあった。
もうすぐ彼女の誕生日、そんな日だった。
彼女の部屋には少女漫画があったが、何故か飛び飛びで集めていたため、全20巻くらいの筈が10巻くらい足りなかった。
これだ!と思った私は本の名前と足りない巻を必死で暗記した。
後日、本屋で購入して、彼女の誕生日に備えた。
もちろん母にバレないように家に隠していた。

3年の夏、夏休み中に彼女の誕生日があった。
私は部活の練習と、毎日塾の補習があり多忙だった。塾から帰って彼女に電話し、ちょっとだけ会って欲しいと伝えた。

彼女からは会えない。別れて欲しいとその日に言われた。
誕生日に突然の電話、会いたいと言われればプレゼントくらい察しはつく。別れたいのに貰えないってそりゃあ当然の事だと今なら思う。

その時は、ちょっとだけでいいからと本を自転車に乗せて彼女を待った。やっぱり彼女は来なかった。
彼女は別れたい理由を、勉強して〇〇高校の普通科に行きたいからと言った。後に彼女とは〇〇高校の商業科で同じクラスになる…

その彼女は三年生の終わりには同じバレー部、そして同じバンドのボーカル、今お笑い芸人の彼と付き合ってることを知る。

封の空いていない飛び飛びの少女漫画だけが家に残った。


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