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揺れているのは #ひかむろ賞愛の漣

週末特有の浮かれた空気に
今日だけは少しだけ流されてみようかと思った
特別なことなんてなにもないありふれた金曜日
更衣室で地味な制服から地味な私服に着替え
ターミナル駅に向かう人の流れから
少しずつはぐれるように逃げるように歩いて向かうのは
前から気になっていたあの店

薄暗い照明の下 
足元を確かめながら恐る恐る下りる階段
その先にあるのは
あらゆる異質なものを   喧騒を   ノイズを遮断するかのような
厚く重たげな木の扉

いつもの私なら
そのずっしりとしたたたずまいに怖気づき
すぐに回れ右していたかも知れない

「入るの?」
あのとき彼にそう尋ねられなければ

はいといいえともどっちつかずの私の答えを待たず
彼は私の前にすいと体を滑り込ませ
肩で押すようにして扉を開けた

彼に一歩譲られて私はそっと足を踏み入れる
扉の奥へ

カウンターとテーブルがふたつきりの小さな店内
彼が慣れた仕草でスツールに腰を下ろすのを見届けてから
そのテリトリーを侵さないようふたつ離れた席につく

立ったまま眠っているようなボトル達の中から
ようやく見知ったひとつをおずおずと指差すと
マスターはわずかに頷き
彼は少しまぶしげにそのボトルに目をやった

ともすれば
その場しのぎの馴れ合いにおちいりそうな空間で
私たちはそれぞれ
氷とグラスが触れ合う からり という音に耳をすませあっている

特別なことなどなにもないありふれた金曜日
日付が変わる頃  
ほどよく酔いがまわり   揺れているのは
私の身体だろうか   それとも心だろうか

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光室あゆみ(ひかりのいしむろ)さんの企画に参加しました。

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