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ショウガイシャの言い方について

みなさまこんばんは。ポ・キールです。

先日「障害」について触れた記事を書いたところ非常に好評をいただきとても感謝してもしつくせぬ心持ちです。ありがとうございます。

その中で「知らなかった」という声を多くいただき、医療関係者の端くれとして「知ってもらう」ことはとても大切だという事を改めて思い直し、またひとつ書いてみようといった所存です。

今回の内容ですが、ここ数年「障害者」「障碍者」「障がい者」と色んな表記を見かけることはございませんか?

「障害者」という表記を見るなり「差別的だ!」と声を荒げて注意する人も散見されますが、これらの表記がどのように違うのか知っているのか?という疑問が湧いています。

「障害者」は差別的なのか、どの表記がベターなのか、私のおすすめする表記は、その理由は、といったところを考察していきたいと思います。

ではスタート!




1.「障害者」は何がだめ?


これを考える時にまず、漢字ごとに分解していきましょう。辞書を引いて転記するのもめんどいのでググります。



しょう
〖障〗 ショウ(シヤウ)・さわる ソウ(サウ)
1.
間に立ちふさがってじゃまになる、じゃまをする。ふさぐ。へだてる。さまたげをする。
 「障壁・障碍(しょうがい)(しょうげ)・障害・罪障・五障・故障・万障」
2.
防ぎ、また隔てにするもの。つつみ・あぜ・とりで・ついたて等。
 「堡障(ほうしょう)・辺障・障子」




がい〖害〗 (害󠄂) ガイ そこなう
1.
《名・造》きずつける。そこなう。悪い状態にする。
 「害がある」
対義語: 利
2.
わざわい。(その)人に直接の原因が無い不幸な事件。
 「凶害・災害・惨害・冷害・干害・風水害」

どちらの漢字もネガティブな意味ではありますが、「害」の方が強く、より悪い印象を受けますね。

もうひとつ「害」は他動詞的なニュアンスが含まれているため、「当事者が周りの人を害する」ようなイメージがあるという意見が聞かれます。

そのため当事者が害悪であり、当事者を貶めるような表現である、という事を根拠に「障害者」という表現避ける流れになったと私は認識しています。




2.じゃあ「障碍者」は?


また碍の字を見ていきますね。



がい
〖碍〗 ガイ・ゲ
邪魔をする。妨げる。
 「障碍・無碍(むげ)・妨碍・碍子」


なるほど。「障」と似たような意味であると思われますね。

そのため「障碍」で「さしつかえがある」といったような意味になると思われます。「障害」に比べると幾分かマイルドです。

「障がい」という表記は「碍」の字が常用漢字ではないため、ひらがなで表記されているそうです。

また、そもそもは「障碍」の表記であったものが常用漢字ではないという理由で「障害」に置き換えられたという経緯もあるそうです。

しかし、自分たちは生きづらさを抱えていて、その辛さは「さしつかえがある」といった生易しいものではなく、そのような軽い表現にして欲しくないという声を上げる当事者の方もいらっしゃいます。

これは困りましたね。




3.そもそも漢字の問題なのか?


「害」も「碍」もどちらもネガティブな言葉であり、それがマイルドかどうかということは本質を付いていないような気がします。

「害」の時に言いましたが「碍」も他動詞的なニュアンスを含んでいるように感じませんか?そうすると「障碍者」も「当事者が周りの人にとってさしつかえがある」という意味とも捉えられます。

要するにこれは「ベクトルの長さ」の問題ではなく「ベクトルの向き」の問題なんです。

ではどうするか?を考えた時に「障害」がつく他の言葉を探してみると「障害物」が思い浮かびました。

これは「物=障害」という意味ですよね?であるなら「障害者」も「人=障害」という意味で捉えるのが自然であると思いませんか?

ここで思い出して欲しいのが「個人モデル」と「社会モデル」です。以下の記事に大まかですが書いています。

「ショウガイシャ」と表記するとどうしても「個人モデル」に沿っていて、「その人が障害である」「その人が障害を持っている」という印象がぬぐえません。

では「社会モデル」に当てはめて考えていきましょう。

イメージするところでは「生活」というコースの上にハードルやらなんやら、「障害物」が並んでいる「障害物走者」のようなかたちであればしっくり来るのではないでしょうか?

その「障害物」は「人的環境」であったり「物的環境」であったり、「文化や風習、通念」であったりしますがそこを掘り下げる事は今回はしません。

ではこれを基に呼び方を考えていきましょう。




4.なんて呼ぼう


ここまで来ると皆さんの頭に思い浮かぶのは「障害を持つ人」か「障害がある人」あたりになってくるかと思います。

「障害を持つ人」という表現も悪くはないんですが、障害が当事者に付随しているイメージや、障害を自分の意志で持っているようなイメージが湧かなくもないです。そうすると「個人モデル」的な表現になってしまうので私は避けようと思います。

「障害がある人」ならば「障害物走者」のようなイメージにぴったりではないでしょうか?もちろんこちらも「個人モデル」的な表現とも捉えられますが、「個人モデル」を否定しているわけではなく、「社会モデル」の視点も同時に持ちたいという話なので問題ないかと思います。

ここでネタばらしすると「障害がある人」は私が考えた表現ではありません。当然と言えば当然ですが。

私の尊敬する医療関係の恩師が「障害がある人という表現をおすすめします。なぜそれをすすめるのかは個々人で考えてください」とおっしゃっていました。

それを聞いた時から考えて出した答えがこのnoteになります。

ここで言いたかったのは「障害がある人」という表現で統一しろ!という話ではなく、こんな理由があるから使ってみることをおすすめしますという話がひとつ。

もうひとつは、言葉の使い方ひとつに「どっかの偉いさんがこれにしろ」って言ったからそうするのではなく、「何故それがふさわしいか」を考えた上で表現して欲しいと思ったからです。

障害がある人と向き合う時、障害があるないに関わらず「人と向き合う時」一番大切なことは理解しようとすることであり、そのために「考える」ことが必要だと私は思っています。

なのでみなさんも「ショウガイシャ」の表記をどうすべきかという事を自分なりに一度考えていただきたいと思っています。

その上で「障害がある人」がいいんじゃないかと思ったのならぜひ使ってください。

今回は程よい長さの文章になりましたね。ここまで読んでいただきありがとうございました。

ではまたいつか。

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