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鈴木邦男が遺したもの

 稀有な人だったとしか言いようがない。
 自らを愛国者ともリベラリストとも決して安易に名乗らない人であったが、どちらもある意味否定しづらい美名だ。だから羞恥心があり過ぎる人は自称せずに体現してしまう、鈴木邦男のことだ。

 「不自由な自主憲法より、自由な押し付け憲法の方がまし」を座右の銘とし相手の思想や政治的立場がたとえどんなにか自分と違っていても、「君の意見には反対だがそれを言う権利は命にかえても守る」というヴォルテールを地でいく数少ない1人であろう。人権意識や言論の自由を貫くということは相手が誰であれそれを実行しなければならない、厳しい選択なのだ。それを引用せずに体現できる識者は一体何人いるのだろう?

 『愛国者に気をつけろ! 鈴木邦男』は文字通り、その名も冠し主演も兼ねた最初で最後のドキュメンタリー映画だが、鈴木が何をもってして排除の論理を持たない歩く民主主義になったのかという理由は監督である中村真夕が言及している。
 鈴木のルーツがその理由の一つだが、生長の家に生まれ今の日本会議の前身となる「全国学協」の初代委員長に就任するも、対立したグループに悪評を流され代表の座を追われ脱会するに至った経緯のことだろう。詳細はこの映画だけでなく、一時期話題になった『日本会議の研究』(菅野完)にも詳しい。

 3年前に遡る。下記に記すのは公開時上映されていたポレポレ東中野でのちょっとした出来事である。闘病中でありながら舞台挨拶にも臨んでいた鈴木は、質疑応答にも応じていた。作中でもその経緯で全てを失ったことに関しては、「そりゃ悔しかったですよ(中略)殺してやろうぐらいに思いました。」と吐露はするものの「自分がやってきた愛国運動を客観的に見る目ができた」と恨みすら克服するくらいの清々しさだが果たして本心はどうなのか?
 たまたま鑑賞していた筆者は恨みの一言でも聞き出そうと「以前には(鈴木さんが)全国学協で関わられ、今は政権を支えている方々について、今どういうご心境なのか、ここはひとつ正直ベースでご心境をお教えください」というような趣旨で、つい意地悪な質問をぶつけてしまったが、あまりにもアルカイックなスマイルを浮かべながら「恨みはありません」などと返してきたので、こちらが思わず絶句してしまいろくにお礼も言えなかった。完敗である。

 鈴木の連載コラムについても触れておきたい。
 月刊『創』の「言論の覚悟」や週刊『SPA!』の「夕刻のコペルニクス」だけではなく、もう今はない漫画情報誌『コミックボックス』に「新右翼のまんが評」という短期連載を持っていた。時期は90~91年、湾岸戦争の時代だ。一部引用する。
 「2週間ほど前、湾岸戦争を考えるテレビ討論会に出た。その時『多国籍軍に感謝する声明』に名を連ねている評論家も出ていた。『フセインのやり方は悪い。しかしアメリカは戦争を避けられたはずだ。それにイラクの一般の人が十万人も殺されているのだ』と僕が言ったら、その評論家は『いやフセインのような独裁者を大統領にしている国民だ。当然責任がある。あの位やられて当たり前だ』と平然と言っていた。これには開いた口がふさがらなかった。(以下略)」と。そして自衛官の日常が描かれる漫画『右向け左!』(史村翔原作・すぎむらしんいち作画)も紹介する。「海外派遣なんかすべきではない。『右向け左!』も多分、これからは湾岸戦争を扱うことだろう。思う存分茶化しまくってほしい。こんな”絶対戦争をやらない軍隊”が世界の中で一つ位あってもいいだろう。(中略)面白いマンガだ。(中略)これによって自衛隊の人気はグンと上がる。皮肉ではない。本当だ。これは僕が保証する。」と。

 右か左かどっちなのかと言われるのもよく分かるが、晩年においても鈴木は天皇制を支持していたし、印象論ではあるが、一君万民型の立憲君主制こそが戦後民主主義を下支えすると考えているようにも思えるのだ。とは言うものの今や左翼の方が戦後民主主義を体現するには皇室に縋るしかないくらい劣化しているので左右の違いが鮮明でなくなっていることは間違いない。

 鈴木が7・8元首相銃撃事件やウクライナ侵攻についてどう思っていたのかもう聞くことはできないが、「許されることではない」と前置きしつつ山上徹也被告の言論の場がなかったことをきっと惜しんでいるだろう。そしてフセインをプーチンに置き換えながらどうすれば停戦に持ち込めれるのかを考えていることだろう。
 唯一無二の言論人が逝ってしまった。合掌。

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