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「穏やかな一日」とはあくまで表面上だけのことである

 正直39話「穏やかな一日」はリアルタイムで鑑賞するまでは、箸休めで流しとけばいいと思っていた。最後の「穏やかな一日」ということで、実際に誰も死なないし別段何も起こらないのだから、次回の投稿で天然痘にでも触れておけばいいやすら思ったが甘かった。本稿のタイトルのように、本話の副題の意味はあくまで物事の外から見える部分であり、物事の表面に現れない部分は(著者の)預かり知らぬということなのだ。

 実朝(柿澤勇人)がこの作品では同性愛者だということは結構みんな分かっていたと思う。御台所(加藤小夏)へのカミングアウトもそのままガイドブックにも載っているので。ただ、ドラマ自体もミステリー仕立てなので登場人物の行動を追っているだけで心象風景や独白も抑えた感じになっている。ガイドブックもそれを踏襲しているので、ネタバレしないように万全な注意を払っているところは敬服する。ドラマ内もガイドブックにも実朝が泰時(坂口健太郎)を好きだという具体的な表現は一切ない。全て視聴者の想像力に委ねるところは見上げたものだと思う。

 実朝の泰時への思いを視聴者にはっきりとみせたのは、和歌の才能を開花してからである。天然痘に見舞われて回復し復帰したとき、政でも花押を押すだけの存在になっていることを悩む自分を励ましてくれた泰時に、自作の和歌を渡し返歌を求める。いわゆる文通である。これが視聴者に見せたファーストコンタクトで、次はより泰時への切ない恋心を視聴者に見せつける。実朝にとっては最大の恋敵(御台所ではない)だが、泰時にとってはかけがえのない絆を結ぶ鶴丸(きづき)である。
 その発端は、小四郎(小栗旬)が働きのある家人の鶴丸を昇格させて御家人に推挙したいと考えたことから始まる。この話は『吾妻鏡』にある
「長年仕えてきた自身の郎党の中で、手柄のあるものを御家人に準じた扱いにしてほしい」と望んだことと結び付けられている。
 実際に承元3年(1209)11月4日条に御所の庭で行われた”切的の会”(小さな的で矢を射抜く競技)を背景に創作を盛り込んでいるが、『鎌倉殿の13人』では、小四郎が『吾妻鏡』で語っている”長年仕えてきた自身の郎党”は鶴丸ということになっている。そして本話でも鶴丸は御家人になりたがっていて、実際に長年の功労者である鶴丸に常々報いたいと思っていた小四郎は、
 「本日の切的の技競べに紛れ込め。そしてひときわ目立つ働きをしてみせよ」と参加させる。その結果次第で小四郎は自分の家人を御家人に昇格してもらえるように実朝に働きかけることを考えていたのだ。守護は交代制にさせようとしておきながら。そして本番、泰時と鶴丸は見事に勝ちを納め喜び抱き合うが、抱き合う姿にショックを受ける実朝。
視聴者には実朝が袖を噛む姿が見えるのだろう。

 実朝は泰時と鶴丸が恋人同士というわけではないと分かっている。2人は恋人同士ではないが、いわゆるホモソーシャルという関係である。実朝は恋人同士は無理でも泰時とホモソーシャルな関係を築きたいと思っているが、見たこともない家人がいとも容易く泰時とその関係を結んでいるではないか。それでは嫉妬を燃やすのも当然の話だ。
SNSで実朝、厩戸で検索したら案の定『日出処の天子』(山岸涼子)を想起したという意見が列挙されていた。筆者はどちらかというと岡崎京子の『リバースエッジ』を思い起こした。BLものでもそうでないものでも実朝のようなキャラクターはノンケが好きなので相手と結ばれることはない。
 そして哀しいかな、厩戸と違って衝動的になったりすることもないので、恋敵を滅するなどということもない。唯一、一糸を報いたことがある。

 前述したように『吾妻鏡』でも『鎌倉殿の13人』でも、小四郎は家人を御家人に昇格してもらうように実朝に働きかけるが、双方とも実朝は却下している。『吾妻鏡』では、「それを許せば子孫の代になって直参を企てるなど、のちに災いを招く」と厳しく答え義時の要望を退けた(承元3年【1209】11月4日)し、守護の交代案も検討はしたものの決定には至らなかった(同年【1209】11月20日)。ところが『鎌倉殿の13人』では
 「義盛の上総介推挙を止めたのはお前ではないか、守護の任期を設けたのもお前ではないか、御家人たちに勝手をさせぬためではなかったのか。お前らしくもない。」と『吾妻鏡』と似たような主旨で小四郎を退けようとするが、小四郎は自分に私欲がないことを盾に取り、なら隠居するというえげつないやり方で実朝を黙らせる。実朝が屈したのは、小四郎が隠居したら鎌倉はやっていけないことだけではなく、自分に理はあるが、個人的な感情(嫉妬)も入っていることも認識しているからだ。ともあれ鶴丸改め御家人、平盛綱誕生である。

『草燃える』の実朝(篠田三郎)

 『草燃える』では実朝(篠田三郎)は名目上では異性愛者になってはいたが、同性愛者のイメージも醸し出していて実朝が好きなのは泰時ではなく、近習である義盛(伊吹吾郎)の孫、朝盛(氏家修)だった。名実共に同性愛者になっているのは頼家の次男公卿(堀光昭)と平六の四男駒若(三浦光村:京本政樹)だが、漫画版の『吾妻鏡』(竹宮惠子)もどうもそういうことになっている。『草燃える』や原作の『北条政子』(永井路子)を参考にしたらしい。

 周りが御台所の懐妊の兆しのないことに騒いでいたことは両作品とも同じだが、側室の話を持ち出したのは、『草燃える』では小四郎(松平健)で、『鎌倉殿の13人』では実衣(宮澤エマ)である。
 篠田版の実朝も、聡明で頼家と違って行儀もいいが、柿澤版の実朝よりさらに頑固である。筆者の記憶では『草燃える』では実朝の天然痘はスルーしていたと思い込んでいたのだが、見直すとそうとも言えなかった。なぜなら第44話「後鳥羽院頒歌」で早世した尾上辰之助演じる後鳥羽は、幕府を呪詛しているのである。

 「奥山のおどろが下もふみわけて道ある世ぞと人に知らせん」
 後鳥羽の胸の中にある鎌倉への敵意である。この後鳥羽は、尾上は同じだが松也版の後鳥羽より鎌倉への敵意は激しく、神器なき即位によるコンプレックスも強い。
 承元元年(1207)に建てられた景勝四天王院は、幕府を調伏あるいは呪詛するためであったという説もあるのだ。そして、その呪詛後に実朝は熱病に侵される。本当に呪詛の効果があったのかは明確にされていないが実朝の原因不明の発熱は続くのだ。今からするとこの発熱は天然痘を意味していた可能性もあるし、『吾妻鏡』でも実朝が疱瘡にかかり回復したのは、
承元2年(1208)の2月10日条と2月29日条である。
しかし『草燃える』での後鳥羽の呪詛と実朝の天然痘の関連付けははっきりはさせていない。

後鳥羽上皇(尾上辰之助)by『草燃える』

「ハハハハハハハハ」と哄笑し呪詛調伏演技をする後鳥羽の姿と、

ー山はさけ海はあせなむ世なりとも君に二心わがあらめやもー

と高らかにうたいあげる実朝の姿が映される。
本人自身が編纂した「金塊和歌集」でしめくくられる最終663首目で、後鳥羽に恭順の意をあらわした歌である。
 これほど哄笑が似合う人はいないかもしれない。
 狂気がにじみ出るなどと恥ずかしい表現をしたくなるくらいの呪詛調伏演技だった。ところがこの一首を実朝が詠んだのは、建暦2年(1212)12月に正二位に叙せられた時なので、時系列が合わない。よって篠田版の実朝の高熱は必ずしも天然痘とはいえないのである。

 前述したように篠田版の実朝はホモソーシャルも醸し出しながら一応は異性愛者である。『吾妻鏡』を踏襲し「兄のことを考えると坂東の豪族からは嫁をもらいたくない」ので自らが都の姫君を御台所に迎えたいと望むのだ。
 しかしその第44話で、側室の話を持ちかけて後継ぎのことをせまる松平版の小四郎にも、血で血を争う鎌倉に嫌気が差す実朝は断然と固辞し、
 「そなたたちが何と言おうと断じて子供は作らん」とまで宣言する。

 第47話の『幻の船』では、再度「子は作らぬ宣言」を行っている。
 『吾妻鏡』にも残しているように建保4年(1216)9月18日に実朝の昇進の早さに憂慮する義時と広元(岸田森)に
「源氏の嫡流は自分で途絶えるのだから家名を高めたい」と反論している。
 同性愛者ではない篠田版の実朝は自らが都の姫君を御台所に迎えたが、後鳥羽の命により御台所(多岐川裕美)となる姫君に付き添う乳母に遠ざけられた実朝は子作りに関しては早々と諦観する。

「ひたすら神仏に願い鎌倉の神社仏閣と取り仕切る長として、それこそ鎌倉の象徴としての私のつとめ。それにはもっと位があればもっと高い位になればそれこそ象徴としての私にふさわしいのだ。」
 篠田版の実朝の言動は権力を求めることはなく権威のみを遵守する戦後の象徴天皇論を示唆していると思う。
逆に言えば頼家は権威に満足できず国家元首となり権力を求めていたということになるだろう。

ー山はさけ海はあせなむ世なりとも君に二心わがあらめやもー

”君”は誰もが後鳥羽院だと信じて疑わないが、実は後鳥羽院ではなく安徳天皇を意味していると仮説を唱えているのは『安徳天皇漂海記』(宇月原晴明)だが一理あると思う。実朝がそこまで本気で朝廷に恭順するほど無邪気ではないことも同意できる。

 叔父や叔母が後継のことを迫り、既成事実を作ろうと画策し、実朝に側室を用意されたことは両作品とも同じだが、それぞれの実朝の対応は違う。普段は慈悲深いがあくまで潔癖な篠田版の実朝は、小四郎に命じられた女性を「穢らわしい」と突き返すが、柿澤版の実朝は、
「すぐに帰ってはあなたの立場もあるだろう」とさらに慈悲深いのだ。
 書き出しに記したように柿澤版の実朝は、心を開く相手は意外にも御台所だった。唯一カミングアウトした相手である。そういえば当初は心を開かなかった多岐川版の御台所もうるさい乳母にも反論するようになり、実朝の心を開こうとしていた。興味のない和歌も学ぶようになっていく。両作品とも実朝はリベラルなので女性や同性愛者を排除することによって成立するホモソーシャルへの親和性はないのかもしれない。

そして実朝は二重に泰時を失う。
「春霞たつたの山の桜花おぼつかなきを知る人のなさ」
 実朝の自作への解釈に自信がなかった泰時は、真意を知る仲章(生田斗真)に意訳され、確信になった。恋の歌だ。
 泰時は「鎌倉殿は間違えておられます」と突き返してしまい、実朝は「間違えて渡してしまったようだ」と寂しげに笑い、別の自作を手渡す。

 「大海の磯もとどろに与する波割れて砕けて裂けて散るかも」

代表作である。失恋ソングだ。突き返してしまったことに苦しみ、珍しくヤケ酒する泰時を見るとつい思い出す。
 「毛人(『日出処の天子』の蝦夷のこと)じゃん」と。

『草燃える』では哄笑する中、後鳥羽実朝が詠うー

ー山はさけ海はあせなむ世なりとも君に二心わがあらめやもー
は、 今回はこの歌は紀行のみだったが、本編でお目見えするのはそう遠くないだろう。

補足
  語りである長澤まさみがアバンタイトルではじめて姿を現す。当初はのえ(菊地凛子)候補だったのだろうか?

  『草燃える』での実朝の和歌の師匠である藤原定家(岡本信人:『鎌倉殿』では千葉常胤)は後鳥羽は勿論のこと十郎(滝田栄)とも遭遇しているが、『鎌倉殿の13人』での定家は姿を見せない(門弟を介して添削が加えられた実朝の自作のみで繋がっている)。読み方は「ていか」も「さだいえ」も正しいが、『鎌倉殿』では「さだいえ」で統一されている。筆者としては『草燃える』の「ていか」で定着してしまったので、上書きも難しい。「ていか」は後鳥羽と対立している。
 「くぎょう」と「こうきょう」は今は後者が優勢だが、やはり未だに「こうきょう」と読むのに抵抗がある。『鎌倉殿』の康信(小林隆)は定家の代用といってもいいだろう。実朝は康信に自作を添削してもらうことを喜んでいたが、京からの定家の添削を持参した仲章にまた追い立てられている。

 つつじ(北香那)と善哉を御所につれてきた平六は、小四郎に守護の交代制の賛同を求められる。相模の守護なのに。やっと平六のオープニングクレジットの定位置は「トメ」に繰り上がった。名実ともにラスボスか?
  

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