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基地の裏庭 Ⅳ

Ⅳ ~人物とストーリー ♯1~

最初にそよ、つぐ、ももえとさくらベースを繋ぐ役割をまりんに担わせたPOKAさんの意図といいますかお気持ちを教えていただけると嬉しいです。

(Twitterに頂いた質問より)

まりんは、4人の主人公やさくらベースの子どもたち以外で唯一、モデルとなったグループを想起させる「名前」を持つ登場人物です。頂いた質問のとおり、まりんというキャラクターは、そよたちとさくらベースを結びつける重要な役割を担っていました。

このnoteの記事で書いたように、そもそも僕が物語を描きたいと思った最初のきっかけは2018年度さくら学院祭の寸劇を観たことでした。その中で日髙麻鈴さん演じる「麻鈴」はタイムリープという能力を使って物語を大きく動かすのですが、『放課後、桜の基地で』に登場する「まりん」も、まさに似たような推進力を持ってストーリーを ”書き手が目指す方向へ導く” 役割だったと言えます。まりんにその役割を担ってもらったのは、もちろん一つには2018年度の寸劇へのリスペクトの気持ちがありました(更に言えば『基地』というモチーフもこの寸劇にインスパイアされたものです)。同時に、つぐたちに一歩進んだ行動を決心させるのであれば、その決心をもたらすのは先生や家族ではなく、年の近い友達なんじゃないかな、という考えもありました。結果として、この役割を担うのは「まりん」を置いて他にはいなかったと今では思っています。

今回からは、主に物語の登場人物に関する裏話を書いていきたいと思います。こんなに回数を重ねるつもりではなかったのですが、書いていると思いのほか楽しくて…。もう少し、書かせてください(笑)。


”つぐ”

 つぐは脚がすらりと長くてスタイルがよく、ほっそりとした面長の端正な顔立ちだった。切れ長で奥ぶたえの目は清廉な印象で、すっきりと鼻筋がとおり、つやの良い真っ直ぐな黒髪を頭の後ろで一つに束ね、前髪を斜めに流していた。透き通るような白い肌で美しい顔立ちなのにいつもさばさばと気取らない表情で、薄い唇から覗く整った歯並びを見せながら快活に笑った。

(五月/Ⅰ より)

最初に書いておきたいことがあります。つぐをはじめとする登場人物たちの外見は完全に実際の『彼女たち』をモデルにしています。それぞれに個性的な容姿をどうやって言葉で表現するかというのは、ファンアートとしてこの作品を描くにあたって自分自身に課したハードルでした。一方で登場人物の性格や人間性などは、決して実際の彼女たちの姿を投影したという訳ではありません。僕と彼女たちの接点は基本的には舞台上での「表現」だけでしたから、もちろん、彼女たちの本当の性格なんて分かるはずがないのです。ただ、歌やダンス以外の部分で、彼女たちが日ごろ考えていること、ふとした時に出る言葉や仕草、時折語られる仲間内でのエピソード…それらに触れる機会が多かったのも事実でした。そう言った要素は当然、登場人物のキャラクター設定のスパイスになっています。「この人にこのキャラクターを演じてほしい」という想いを下書きにして、自分の記憶の中にあった言葉や仕草で登場人物の色付けをしていったような感覚です。登場人物の描き方についてはそんな感じだったことを理解していただけると嬉しいです。

さて、”つぐ”という登場人物についてです。

主人公4人のイメージワードを頭に思い浮かべた時、僕の中のつぐのイメージは「ストーリーテラー」でした。物語の前半部分、そよがさくらベースに通い始めるまでの間は、つぐの視点を中心にストーリーが進んで行きます。彼女はあまり自分に自信のない、自分という人間がまだ良く分からない(と思い込んでいる)、という性格的特徴で描かれています。とは言え、つぐは決してネガティブという訳ではなく、謙虚で遠慮がちではあるものの、素直で面倒見も良く、いざという時には行動力を発揮する人です。書き手にとっても、ストーリーが軌道に乗るまでの水先案内人として、つぐはぴったりのキャラクターでした。そよが学校を休んでいる。その理由が分からない。先生に様子を見てきてほしいと頼まれる。つぐは「なんで自分が?」と思いつつも、その頼みを素直に聞いて行動します。しかし、彼女は頼まれたことだけに留まらず、そよに学校に来てもらう為には何をしたらいいんだろう?と考え、更なる行動を起こします。

つぐは自分自身の意志で、そよの為に、迷いながらも行動していきますが、それは同時にももえという友達と一緒にいられるからという理由もあったので、彼女自身はその行動の純粋さや献身性に気付きません。自分の良さであったり自分の行動を客観視できないというのは、つぐに限らずこの年代には珍しくない事だと思いますが、物語の中で、つぐには幾度か外側からの気付きがもたらされます。つぐの行動が常にストーリーの緒(いとぐち)となっていたことを教えたももえ。つぐに褒められたことを嬉しく思い、ずっと仲良くなりたいと願っていたそよと、そのそよの気持ちをつぐに伝えたそよの母親。そして、そよがつぐと近づきたがっていることを知っていて、つぐに「役目」を頼んだ先生。つぐ自身は気付いていない幾つかの行動が実は物語を水面下で動かしている。そのことを書いている僕自身は知っていたので、あなたにはこんなにたくさんの良いところがあるんだよ、と、つぐに教えるような気持で、彼女の姿を描いていました。

つぐの言葉や仕草で特徴的なのは、センテンスを「さ」で終わらす、或いは息継ぎのような感じで「さ」を使ったり、少し少年っぽい感じの喋り方をすることです。

「いや、そういうことじゃなくてさ。いつも家ではコンタクトだったじゃん」
 つぐの言葉を聞いて、そよは恥ずかしそうに目を伏せた。
「へんなの。普通、逆でしょ」つぐは、綺麗な歯を見せて笑った。

(八月/Ⅳ より)

「ももえはさ、いつも馬鹿にするけど、いなかにも、少しはいいところあるでしょ?」

(八月/Ⅴ より)

このあたりの会話には、つぐの特徴がよく出ていると思います。書いていて好きだった、印象に残ったつぐのエピソードは、やはりさきあと一緒に『洋館』に足を踏み入れる場面です。

 二人は、学校の敷地を出て、歩いてすぐの場所にあるコンビニエンスストアに立ち寄り、そこで温かいお茶を二つと、レジの横のスチーマーの中に並んでいる中華まんを一つ買って、店の外のベンチに腰掛けて、休憩をした。
「熱いから、やけどしないように気を付けて食べな」
つぐは、中華まんを注意深く半分に割って、包み紙にくるまれた少し大きい方を、さきあに差し出した。

(二月/Ⅹ より)

その中でも、この何気ない一瞬は書き上げた後に自分でもとても好きだと思ったのを覚えています。ちゃんと包み紙にくるまれた方を渡すつぐの細やかな気遣いが表れている一場面だと思います。


”ももえ”

 ももえは、つぐよりも少し背が低い。睫毛が長く、色素が薄い綺麗な色のつぶらな瞳で、黙っていても何かを語りかけているような目が印象的だった。ふっくらとした頬にほんのり赤みがさし、大きくはないが小高い鼻と、丸みを帯びた上品な唇で、つぐとは対照的に、常に女の子っぽい可愛らしい表情を見せたが、ふわりとした前髪から時々見える、への字の形をした眉が、隠れた意志の強さを感じさせることもあった。

(五月/Ⅰ より)

”ももえ”というキャラクターのイメージとしては「フィクサー」という言葉を思い浮かべていました。額面どおりだとこの言葉はいささか強過ぎるというか、ももえのキャラクターを語る時には本来とは少し違う意味になると思います。物語の中で彼女の立ち位置として重要なのは、やはり転校生として外部からK市にやって来たことです。自分が今住んでいるK市をいなかであると決めつける一方で、東京にはどこか馴染めなかったことを窺わせるような場面も、物語の序盤で描かれています。そんなももえにとって、クラスメイトとしてつぐと出会ったことはとても大きな出来事でした。

質問ではありませんが、第1章の最初の方で出てくる「つぐは、理由なくももえに近付いて行き、ももえは、何となくつぐを受け入れた。」というセンテンスが個人的にすごく好きです。

(Twitterに頂いたコメントより)

2人の関係は、最初につぐの方からももえにアプローチをするのですが、ももえはきっと、つぐのことを心から落ち着ける居場所と感じたに違いありません。だから、ももえは物語の中で一貫してつぐを失いたくないという動機付けで行動をしています。彼女たちと同じくらいの年齢の頃、人間関係は透き通って美しく、その分とても脆いものだったというのは、皆さんにも覚えがあるのではないかと思います。ももえはつぐを慕っている。一方でつぐはその想いには気付かず(ももえが巧みに隠しているというのもありますが)、ももえと一緒にいたいという真っ直ぐな気持ちで行動する。という微妙な関係性を、終盤まで同じ音色、温度感で描こうと強く意識しました。

さて、なぜフィクサーという言葉をももえのイメージとして設定したかというと、ももえはあまり表立って行動はしないけれど、緩やかな支配力でつぐを動かして、つぐとの関係がうまく続くように立ち回っているんですね。もちろん、彼女が独りでもさくらベースに通うようになるのはまた別の理由があり(それに関しては別の記事で書きます)、その対比も書いていて面白かった部分なのですが、とにかく彼女はとても聡明で、出来事の全体を俯瞰で見ると同時に本質を直感的に見抜く力を持っていて、しかも自分で動くだけではなく、誰かを動かして成り行きを進めようとすることができます。書き起こすとちょっと怖い感じもするのですが(笑)、彼女はあくまでも理性を保っているし、打算ではなく純粋な気持ちで動いているので、自分では気が付かないうちに自然とフィクサーのような役回りをしているという感覚でこの言葉をあてがったのでした。

ももえは、基本的にはあまり目立つことを好まず、誰かと一緒に行動している時には、一歩引いた立ち位置から的確な言葉を投げかける、というようなことが得意な人です。

「風邪…治らないの?」つぐが、そよに尋ねた。
 そよは、黙って小さく首を横に振った。
 つぐは、何となく、気まずくなってしまった。
「そよちゃん、勉強どうしてるの」と、ももえが言った。
 ももえの声には、深刻にならないある種の軽やかさがあって、瞬間、小さな部屋の空気が緊張から解放されたような気がした。

(五月/Ⅰ より)

この場面などに顕著なのですが、ももえは言葉や声のトーンでその場の雰囲気を軌道修正することができます。何よりも優れているのは、言葉を投げかける「タイミング」の判断です。無意識のうちに最適な瞬間を読む力に優れていることも、無邪気なフィクサーというイメージと繋がってくるのかな、とも思います。そして、そんなももえが時折見せる強い感情表現は、彼女のキャラクターをより味わい深いものにしています。

「この子たちのダンスに、できるだけ近づきたいと思ってるんだよね?そりゃあ、彼女たちはプロだから、わたしたちが、これをそのまま真似できるわけないよ。でも、かのちゃんが目指してるゴール、それをわたしたちに教えてよ。それから、今、わたしたちに何が足りていないのかも」
 ももえの目は、真剣なままだった。
「かのちゃんは、それを、わたしたちに言わなきゃいけないと思う。だって、これは、あなたが始めたことなんだから」

(十月/Ⅸ(後編) より)

この場面では、ももえはかのに向かって「あなた」という二人称を使っています。別の場面でももえはつぐにも「あなた」と呼びかけていますが、物語の中で、子ども同士の会話でこの二人称を使っているのはももえだけです。きっと、ももえはこの言葉の効果を分かっていて使っているのだと思います。つぐと一緒の時に見せる甘えた表情や仕草と、本気で伝えたいことを表現している時の真剣で熱い姿のギャップも、ももえという人の魅力です。

次回のnoteも、登場人物のことを書きたいと思います(続く)。

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