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『うつ病』 発症までの経緯と休職まで

どうも、ぽよです。

今回はタイトルの通り、うつ病発症までの経緯について投稿します。
(※一部、否定的な心情の表現があります。)
自己紹介の投稿を見てない人は、下の投稿を見ていただけると幸いです。

【うつ病発症(初回)】

経緯

 初回うつ病発症時は、2023年6月であり、入社してから2年目に入った時でした。
その時の仕事内容としては、顧客システムの改修作業を担当しており、それに加え会社で決められている教育の一環でレポート作成を行っていました。
また、週報・月報の作成も事務作業として行なっていました。

 レポートや報告書に求められるレベルが徐々に上がっていき、指導員から指摘を受けることが増えてきました。
働き方としては、定時内は改修作業を行い、定時後にレポートや報告書の指摘を修正する働き方が続いていました。
それにより、残業時間は月50時間を超え、帰宅する時間は11時を過ぎ、就寝する時間は1時ぐらいになっていました。
その前からも報告書の修正に時間がかかり、残業30時間程が続いていました。
また、レポート・報告書の提出は期限内に終わらせることができず、期限を延ばしていただいくことも多々ありました。

心情・気づいたこと

 当時の心情・気づいたこととして、以下のようなものがありました。

  • 事務的作業に時間がかかり、顧客作業に貢献できていない不安

  • 指摘の数・報告書作成の時間が減らず、自分はダメだと思う自己否定

  • 指導員が報告書に求める質のレベルと自分の作成できる質のレベルに大きな差がある(指導員が求めるレベルがbestだとして、自分はbetterぐらいでいいと思っていた)

  • こんなに多くの指摘をもらってまで、報告書・レポート作成を行いたくない

 以上のような心情により、「働かない方法を探そう」・「どうやったら簡単に死ねるか」と思うことが増えてきました。
また、そのような心情から朝起きれなくなったり、年休を使って休むことが増えてきました。

そこで、自分の症状からネットで検索しているとうつ病の症状に合致していると思い、一度心療内科を受診することを決意しました。

【一時寛解】

初めての心療内科受診

 初めて心療内科を受診したのは、8月上旬のことでした。精神系の病院に行くのは初めてだったため、とても緊張しましたが診察を受けてみると「それはうつ病ですね。」と言われ一安心しました。

病院の先生からは、当時の状態から休職を薦められましたが、以下の理由から一度休職することはやめておきました。

  • 年度の終わりに論文発表があり、休職した場合、論文発表の準備期間が短くなり、自分を追い詰めることになると考えたから(論文発表:入社2年目の最後に業務を振り返った論文を作成、幹部の前で発表)

  • 受診の次の週からはお盆休みに入り、その間で何か解消されるかもと考えたから

心療後の働き方

 お盆明けに、指導員と課長に受診結果を報告しました。2人からは、「確かに負担がかかっていると思うところはあった。」・「顔色が悪いと思っていた」と言われました。
(自分は顔色悪いと思ってなかったですけどね(笑))

とりあえず仕事は負担を減らすことになり、顧客業務量と内容の調整をしていただきました。また、残業もあまりしないことをこころがけるようにしました。
残業・負担が減ったこともあり、その当時はうつ病の症状は治った状態で仕事をすることができていました。

【うつ病発症(2回目)】

経緯

 業務量を減らしてもらってから約3か月後、ある書類の作成に伴い再び発症しました。
会社で入社2年までは、スキルアップの計画と実績をまとめた書類(以下、成長書類と名付けます。)を半期ごとに出すことになっています。
成長書類を作成していましたが、書類の内容や文書の見え方について多くの指導を受けており、残業時間が増加傾向にありました。

そんな時、会社の研修で久しぶりに同期と会う機会がありました。
(会食恐怖症と本社にいないこともあり、基本的に同期とは合わない)
その際に、同期の成長書類を見せていただきました。すると、自分の5分の1ほどしか記載がないに加え、残業もほとんどしていませんでした。
その際に、もっと楽に(実際は苦労あるだろうけど、当時は楽そうと思いました。)仕事している人がいるじゃないか。自分だけなんでこんな苦労しているんだろうと思いました。

 また、論文発表準備の一環で論文計画書提出がありました。提出期限が迫っていましたが、自分の顧客業務(少し前からちょっとずつ顧客業務を任されるようになった)で手一杯で論文計画書作成ができていませんでした。
顧客業務で22時を迎え(基本22時退社)、論文計画書作成に充てる時間がなく、(今思えばマイナス思考が進んで、効率よく作業できなかっただけとも思う。)提出期限の前日になっても何も進んでいませんでした。
提出期限を再び延ばすのも言いづらい、言ったら上司からまたできていないのかと言われると思ったため、提出期限の日は休むことにしました。

当時の現状で、論文発表に立ち向かうには精神的に無理だと考えて休職を決意しました。(論文発表では指導員から部長まで多くの方から指摘を受け、残業時間も増加する。)

【休職まで】

以上のような経緯があり、休職の決意を病院の先生に伝え、休職診断書を書いていただきました。
診断書をもらってからは、指導員・課長・保健師に意向を伝え、すぐ休職期間に入りました。

【最後に】

長い文章を読んでいただきありがとうございます。
以上が発症から休職までです。

振り返ってみれば、やりたくないことは強く拒否する、指摘などが怖いなど、「逃げ癖」や「意見されたくない」などの性格があると思います。

これが正しい判断なのか、他の道はなかったのか今でもわかりません。
また、根本的な原因がなにかもわかっていません。
カウンセリングやみなさんからの意見を参考に見つけたいと考えています

また、周りのメンバーにはすくなからずご迷惑をかけたと思っています。

次の投稿では、休職期間のこと、現状などを記載したいと思っています。
また次の投稿も読んでいただけると幸いです。

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