死について


もうすぐで4月も終わろうとしている。

少しだけ色々な人のnoteを拝見させてもらった。
自殺未遂をした方のnoteは特に鋭くて私の感情を動かすものがあった。

私は物心ついた時から「死にたい」という感情があって、その希死念慮は毎日姿を変えて大きくなったり小さくなったり、時にはこの感情があって良かったなと思ったりもする。

私の好きな本に自殺をするまでの日記を綴った小説がある。
その人はとても美しくて儚くて可愛くて優しい人だった。そして希死念慮を持つ自分と何処か似ている部分がある人だった。
私自身、死ぬのは救いだと思っているので、死ぬことが出来た彼女に「今までお疲れ様。よく頑張ったね。おめでとう」と思いたいのだが、どうしてもこの人の死を受け入れるのは辛いものがあった。
もしも彼女が今でも生きていたら少しで良いからお話をしてみたかった。
どうやって今まで生きてきたのか、本当は何が好きなのか、何が嫌いなのか。たくさんの話を聞きたかった。
死んでしまったらその人とは話すことも聞くことも、何も出来ない。ただ彼女が残した日記を私は1ページずつ丁寧に読むことしかできない。

私は数年前まで死という概念に囚われ過ぎていて、どうやって死のうか、確実に死ぬにはどうしたらいいか。そんなことばかり考えていた。

その考えが薄くなったのは、バッドトリップの経験だ。初めてバッドトリップを体験した私は、これはマジで死ぬやつだと思い込んでいて。バクバクと五月蝿い心音が怖くて仕方がなかった。自分が誰なのかも分からなくなって、時間という概念も消えて何故このような状況になってしまったのかも分からず、完全にパニックになった。
でも、ここで死んだら私という存在は何だったのか、私の生きた証は一体何だったのかと様々な思考が飛び交う中でそれだけではハッキリと思った。
実家に住んでいるので、親に助けを求めていたが、その時に私は、「死にたくない。死にたくないから救急車を呼んで」と何度も何度も懇願していた。
あれだけ死にたがっていたのに、いざ死ぬかもしれない状況がくると死にたくないと子供のように泣いていたから、本当に惨めで、悲惨でどうしようもないなと思った。

今でも死にたい日はあるが、そんな時は、逃げて逃げて、とにかく逃げまくるしかないのだ。

死んでしまった彼女を思うと悲しくもなるが、上手に死ねて良かったなとは思う。
この世に絶望して、全てが嫌になって死ぬって人生の物語の結末としては凄く簡単で単純な流れではあるけど、いざ実行すると難しい。しかも上手くいくとも限らない。自殺未遂をして後遺症を一生抱えて生きるのも普通に嫌だ。

とにかく生きるのも死ぬのも怖いのでもう私はどっちでも良いなと思った。

心の底から大好きな人に殺されたら凄く幸せだけど、そんな日はきっと来ないので、私の人生はきっと呆気なく予想もしていないタイミングで静かに終わる。

どうか安らかに。

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