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スパーリングこそ実戦的?

合気道や古武術なんかを見ているとスパーリングや試合が無いのに本当にその技術は使えるの?

と思うことがある。

古武道の型などを見ても、明らかにこれは実戦使用は難しいだろうというものがある。

ではスパーリングをやれば良いのだろうか?

これに関しても懐疑的である。私は必ずしもスパーリングや試合が実戦力を鍛えるとは思っていない。

スパーリングや試合では、決断力や反射神経、間合いや相手の動きなどを学ぶのにとても優れている。

しかし、問題は実戦は試合やスパーリングとは違ってしまうということである。

スパーリングは実戦的だといいながら、本当の実戦とは全く別物になっていることに気をつけなければいけない。

技の確認や身体の動きを確認する分には良いだろうが

実戦では、まず緊張感が桁違いである。
そもそも日常の生活においてリラックスしている中で急激に異常事態が起きれば必ず人間は緊張する。

それこそ敵意を持った視線を明確に向けられればスパーリングとは違った感覚で体が硬直する。

脳が急激に身の危険を感じた時、身体の動きを止めてしまうというフリージングも起こる可能性がある。

そこで、スパーリングにあるような身体の動きや思考はまず不可能になる。一瞬で頭は真っ白になり身体はまるで他人の物のように動かなくなる。

そんな中で簡単に技を適用しようなど不可能に近い。

次に、相手の挙動の違いである。試合やスパーリングでは相手は攻撃のみならず防御も同時に考慮する必要があることから、如何にして自分は傷付かずに相手に攻撃を入れるかという形が生まれる。
また、もちろん相手とてこちらを殺してしまおうなんて思っていない。こちらが「待て」といえば相手はそれに応じてくれるだろう。

実戦ではそれは起こらない。相手は怒りで制御出来ないかもしれないし、精神的に通常ではなく、考えられない挙動をしてくるかもしれない。
さらに、そんな場合に生み出される本能的で短絡的な攻撃は思わぬ威力を持っている。

そんな中で、技を適用して制圧するというのは非常に難しいのである。

いっその事こちらも全力でタックルするくらいの方がマシな結果となるかもしれない。

そんな意味で、スパーリングへの過度な信頼や試合の強さが「実戦の強さ」だと考えるのはいささか危険である。

全く頭が動かない状態で、誰に対しても反射的に技が身体から出てくるか、そういった極限状態で本能的に身体が動くようなトレーニングこそすべきだということになる。

考える前に生死は決まっているというのが実戦では重要な事である。

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