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肩をたたいてビールを飲んだ/苦さをキレで流すラガー

「ありがとうございました、ではまた」

マンションのエレベーターに乗り込み、頭を下げながら「閉」ボタンを押す。見送ってくれるのはアパレル会社の社長であり、生徒でもあるヨウコさん。

エレベーターの扉がゆっくり閉まると同時に、彼女の姿が見えなくなると、わたしたちーわたしと、男友だちの遼ちゃん―はガッと肩を組み、「飲もう!!」とだけ言う。それ以上しゃべる元気がなかったのだ。

当時大学2年生。お酒を飲める年になっていた。授業終わりに手渡される給料袋を握りしめ、田町の飲み屋街に繰り出す。授業のたびにこの繰り返しで、もらった給料はすべてその日の飲み代に消えていた。

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ヨウコさんは40代のきれいな人で、社長をしながら大学の通信課程に通っていた。わたしと遼ちゃんはアルバイトでレポートの書き方を教えていたのだけど、毎回二人とも疲労困憊していた。がんばりやさんの彼女だとは思うけど、レポートに書いてあることの意味が取れなくてまず骨を折り、挙句の果てには「先生たちが代わりに書いてください、そのほうがいいと悟りましたから」と言いはじめる彼女を「退学になりますよ」など諭す羽目になった。やや特殊パターンかもしれないけど、《仕事ってたいへんなんだ》《社会には色んな人がいるんだ》と思い知った初めての経験だった。

それで、毎回わたしたちは死んだような目でエレベーターから地上に降りたつやいなや、一目散に居酒屋に向かった。赤い提灯やお店から漏れ出す黄いろの明かりを見つけるとホッとした。ああやっとビールが飲める。おなかもペコペコ。

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目の前に元気よくおかれた中ジョッキを、へなへなになりながら持ち上げる。居酒屋の灯は、どうしてこんなにビールをきらきらと輝かせるんだろう。小さな泡がいきおいよく立ちあがる黄金に、きめ細かな白い泡。

「とりあえず、かんぱい〜」とわたし。
「今日も、お疲れさま」と遼ちゃん。

高い背をちょっと丸めてジョッキを差し出すのが彼のクセだ。
冷えたビールをごくごくとのどを鳴らして飲むと、ラガーのキレがこれまでの辛さをぐっと押し流し、「今日も終わった」という実感がジワーッと腹の底からわいてくる。ぷは、とジョッキを置くときには笑顔が戻った。

「また授業料ぜんぶ使っちゃうね」と笑いながら、つまみやビールをどんどん頼んだ。東京の焼き鳥は故郷・福岡の焼き鳥よりずいぶん小さいなぁと思いながら。鶏皮ポン酢、もつ煮、チューリップ唐揚げ、たたきキュウリ。

あの頃、どんな話をしたのかあまり覚えていない。たぶん授業のこととか、大学の教授のハゲ具合とか、好きな漢詩とか、くだらない話をダラダラしていた気がする。

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わたしが一浪して大学に入ったので遼ちゃんは年下だったけど、身長が高くて老け顔で、わたしよりずっと大人っぽかった。大学でもいつもネクタイをしめていた。サークルには入らず、家庭教師や塾講師のアルバイトばかりしていた。わたしたちは見た目も性格も雰囲気もまったく似ていないけど、2年生で同じ国文学専攻になったその日に、なぜか友だちになった。古文をこよなく愛し、はじめての彼女ができたらその喜びを和歌にしたため、わたしにメールで送りつけてきた。返歌を考えるのがめんどうで、いつも放置していた(すまん)。ポーカーフェイスで、寡黙だけど暗くはなかった。笑うときは頬を赤くしてニヤリと笑った。リラックマを愛していた。

そんな遼ちゃんが弱い背中を見せたのも、居酒屋で並んでビールを飲んでいるときだった。
いつも通り、給料袋をにぎりしめて入った焼き鳥屋さんで。
ふたりとも3杯くらいビールを飲んで、けっこう酔っていた。

「おれのオヤジ、高校生のときに死んでさ」

ふとしたときに、ぽつりと、言葉がもれた。

「学校の先生してたんだよね」

「おれも高校の先生になろうと思っていて」

・・・

「なんで死んじゃったんだよ、オヤジ」

遠い目をしながら、じっと、カウンターに体を傾けて。

彼がお父さんの話をしたのは後にも先にもあのときだけだった。
なぜあのタイミングだったのかわからない。
遼ちゃんは一人息子だった。お母さんの前で、弱音は吐けなかったのかもしれない。
さすってあげたほうがいいのかな、と思うくらいに心細い背中。
いつの間にか、わたしたちは、カウンターの並びの席で互いに軽く肩を組み、だまってビールを飲んでいた。

どう声をかけてあげればいいのかわからなかった。
帰りも肩を組んだまま駅まで歩いた。
男女、というよりは、仲間として労りあう気持ちで。
東京の夜空だから、星がにじんでいた。
サラリーマンの笑い声が、遠く鈍く響いていた。

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駅で「じゃあね」とアッサリわかれて、次の日の授業にはふたりとも普通に出席して「おう」と手だけあげて挨拶した。

すこし二日酔いのまま出た漢詩の授業では、白楽天の歌を読んだ。

五歳優游同過日〈五歳優游(ゆうゆう)ともに日を過ごすとも〉
一朝消散似浮雲〈一朝消散して浮雲に似たり〉
琴詩酒友皆抛我〈琴詩酒の友皆我を抛(なげう)つ〉
雪月花時最憶君〈雪月花の時最も君を憶(おも)ふ〉

「憶(おも)ふ」は「いつも思って忘れない」ことであり「思う」と異なる…めったに板書しない老教授が「憶ふ」とだけ黒板に書きつけた。

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いまでもビールが好きだ。ビールはアッパーだ。気分を最高に楽しくしてくれる。楽しかった思い出もたくさんある。

でもあのときのビールは、じんわりと人生に寄り添い、弱さを許してくれるようなビールだった。ここにいるよ。そう代わりに言ってくれるような。

苦い記憶を塔のように積み重ねれば、甘い記憶になる。
でもそれでは前に進めない。

だから、苦さをグッとキレのあるラガーで洗い流して、進まなければ…。

人生は苦い。でも悪くない。
ビールを飲んで、肩をたたきあえる仲間がいれば。

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遼ちゃん、元気ですか。
しばらく会っていないね。
あなたは亡くなったお父さまとおなじ、高校の先生になったね。
わたしはあんなに憎んでいた故郷に戻りました。
もう30代になるねわたしたち。
あれからあなたの人生にはどんなことがありましたか。
また、聞かせて。
また、ビール飲もう。

※プライバシー保護のため生徒さんのプロフィール・名前は変えています。
※写真はロイヤリティーフリーのサイトより。(AC,PAKUTASO,Pexels)

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