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【読書感想文】或る日の大石内蔵助 芥川龍之介


芥川龍之介と酒を飲みながら、赤穂浪士を語る。
芥川くん。君は優しいね。
そんな小説。


①あらすじ

赤穂浪士討ち入りのお話をここでする必要はないでしょう。
とにもかくにも赤穂四十七士は本意を遂げ、見事、吉良上野介の首を取ったのであります。
その後、赤穂四十七士は四か所の大名屋敷にお預けの身となったのであります。
その一つ細川家。(メンバーは最後に記載)
大石内蔵助をはじめとするメンバーの、のんびりとした小春日の談笑の風景です。

談笑の内容は

1「江戸中に赤穂浪士の忠義を真似た仇討ちじみた事が流行っておるようです。」という噂話。

2「同盟を脱し、討ち入りに参加せずに逃げた元赤穂藩の浪士達はけしからん」という悪口。

3「討ち入り前に内蔵助様が世間の目をごまかす為に遊び呆けていた佯狂苦肉の計は、さすがですね。」というおだて話。

そんな面々の話を聞きながら。
大石内蔵助の心中は如何に。という短編物語です。

②武士道についての私見

先ず、最初に言っておかなくてはなりません。
僕は武士道精神が大嫌いなのです。
なにが潔く死をだ。なにが忠義だ。
なにが日本人には武士道精神が流れているだ。
と思うのです。

勘違いしない方がいい。
僕らの祖先は大半は、その武士に虐げられても、土を舐めても、生きて生きて生き抜いた農民です。
この国を支えたのは武士道精神なんかじゃない。
どんなに無様でも生き抜いた土農精神です。
だから僕はは忠臣蔵という物語が大嫌いなのです。
こんな逆恨みのバカげた話を美談にしてしまうのが日本人だというのなら。
それそこが最大の日本人の危うさのような気がしてなりません。

③芥川が見抜く内蔵助の憂鬱

そんな僕の憤りを知ってか知らずか芥川は優しいのです。
芥川はこの「或日の大石内蔵助」を通して
「ポエヤスよ。お前の気持ちも分る。そう思うのも当然だ。でもね。大石内蔵助もつらいんだよ。」
と。
僕を慰め、大石内蔵助を慰めてくれるような。そんな優しい小説に思えたのです。

それでは③3つの談笑を芥川の書く内蔵助はどう感じているか。
芥川の書く内蔵助の心の中に入ってみましょう。

1「江戸中に赤穂浪士の忠義を真似た仇討ちじみた事が流行っておるようです。」という噂話。
について大石内蔵助は
「私はそんな事、望んでませんよ。」
「私達、そんな偉いわけじゃないですよ。」
「私達のまねをするなんて恥ずかしい。よしてほしいです。」
と芥川は書く内蔵助は困惑するのです。

2「同盟を脱し、討ち入りに参加せずに逃げた元赤穂藩の浪士達はけしからん」という悪口。
について大石内蔵助は
「彼らを憐みこそすれ憎いなんて思っていませんよ。」
「彼らの心変わりも自然すぎるほど自然です。」
「彼らは気の毒なくらいに真率ではありませんか。」
「世間は彼らを殺しても飽き足らないと思っているようですが、討ち入りをした我々と人としての差はありませんよ。」
と芥川が書く内蔵助は優しいのです。

3「討ち入り前に内蔵助様が世間の目をごまかす為に遊び呆けていた佯狂苦肉の計は、さすがですね。」というおだて話。
について大石内蔵助は
「よしてください。遊んでた頃はホントに楽しかったんだよ。それを世を欺く作戦とか。称賛しないでください。後ろめたいです。」
「夕霧や浮橋のなまめかしい姿が思い浮かぶよ。いい女だったな~。」
「復讐なんて忘れて遊んでいた事もあったんです。恥ずかしい限りです。」
と芥川が書く内蔵助は正直です。


④芥川と酒を酌み交わす

「ポエヤスよ。内蔵助もヒーローに持ち上げられて辛いんだよ。分ってあげなよ。」
と芥川は僕に諭すのです。

はい。芥川の書く内蔵助なら。
そんな人間味あふれる内蔵助なら僕は好きです。

この忠臣蔵という物語を美談にするのではなく。
僕のように「逆恨みだ!」と罵倒するのではなく。
「内蔵助は、ホントは辛かったんじゃないの?」と書く事で
芥川の優しさを見た思いがします。

人生とは不思議なもので、時として思いもしない立ち位置に置かれる事があります。
思いを遂げたがのに、思いを遂げた故に思いもしなかった状況に置かれる事があります。
望む望まざるに関わらず、善し悪しに関わらず、
今の自分に戸惑う事があります。

それを第三者は気づきません。
その人の立場や状況や表面上の薄っぺらな情報でその人を判断し。
その人の気持ちを想像し。
決めつけるのです。
その決めつけが見当違いの事は大いにありますし。
それが例え褒めているにしても。その褒めているが故に尚更に、その人を傷つけている事もあるのです。
また、同情が最大の刃物になる事もあるのです。
繰り返しになりますが、
それを第三者は気づきません。

芥川はそんな悲哀を内蔵助に見るのです。

「ほら。飲めよ。」と芥川が僕に酒を注いでくれているような気がします。

「ポエヤスが武士道精神を嫌いなのは分かった。でも、0か100かではなく、武士道精神の悲哀も愛おしめるような、違う視点を持つ事も必要なんじゃないけ?」
と芥川が笑います。

そしてまた、
「ほら。飲めよ。」と芥川が僕に酒を注いでくれているような。
そんな読後感です。

っか。芥川が自殺したのは35歳。
僕は50歳だぞ。。。
まあ。いいか😜


④おまけ 討ち入り後、お預けるとなった場所とメンバー一覧

興味が湧いて調べたので記載しておきます。

肥後熊本藩細川家で十七名が切腹
大石内蔵助
吉田忠左衛門
原惣右衛門
片岡源五右衛門
間瀬久太夫
小野寺十内
間喜兵衛
掘部弥兵衛
早水藤左衛門
礒貝十郎左衛門
富森助右衛門
潮田又之丞
近松勘六
赤埴源蔵
奥田孫太夫
矢田五郎右衛門
大石瀬左衛門

伊予松山藩松平家で十名が切腹
大石主税
堀部安兵衛
貝賀弥左衛門
菅谷半之丞
木村岡右衛門
千馬三郎兵衛
不破数右衛門
中村勘助
岡野金右衛門
大高源五

長門長府藩毛利家で十名が切腹
勝田新左衛門
村松着兵衛
武林唯七
倉橋伝助
杉野十平次
吉田沢右衛門
小野寺幸右衛門
前原伊助
間新六
岡島八十右衛門

三河岡崎藩水野家で九名が切腹
間十次郎
神崎与五郎
村松三太夫
横川勘平
奥田貞右衛門
矢頭右衛門七
間瀬孫九郎
茅野和助
三村次郎左衛門

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