見出し画像

わたしの原点とH先生のこと

この文章は、わたしが勝手に恩師の一人だと思っている小学校の先生に最近Facebookで送ったメッセージを、noteで公開できるように修正したものです。少しだけフェイクや脚色があります。

突然のメッセージ失礼します。《本名》です。

担任クラスの児童になったことはないので私が一方的に覚えているだけかと思いますが、20xx〜xx年度(小5〜6)の間、T小学校の演劇クラブでご指導いただいておりました。

ふとその頃のお礼をお伝えしたくなり、ご連絡させていただきました。遅い時間にすみません。


まず私のT小卒業後〜近況をざっくりお話しますと、A中→B高→C大と進み、ここ数年はDという、若手のクリエイターやアーティストなどが多く集まるプロジェクトに参加しています。

ありがたいことに、学生時代の後輩や新しく知り合った方から「創作や舞台などのカルチャーを好きになったきっかけは何ですか?」という質問をもらう場面も増えてきました。

それで振り返ってみると、

●小5の学習発表会でH先生率いる隣のクラスが披露した劇『杜子春』を観て、「衣装替えを兼ねた野球拳で主人公の享楽と没落を表現する」という、子供の理解力をナメたところが全くない演出に感動して演劇クラブに入ったこと

●小6の卒アルの文集ページで、ほかの先生方が丁寧な字で「中学校でも勉強がんばってね」などと綴る中、H先生だけword文書を拡大コピーしたようなガビガビの明朝体で「セーラームーン、君だけ衛星。※一部抜粋」みたいなキレキレの文章を載せていて、「人間こんなに面白くひねくれたまんま大人になれるんだ!」と衝撃を受けたこと

の二つが相当大きなターニングポイントだったな、と思うのです。

あの経験がなければ、中高の放課後を図書部(学校非公認)や美術部やテキストサイト巡回に捧げることも、大学のサークルでコントやミュージカルを書いたり演じたりするのに夢中になって留年することも、奇跡的に得た正社員の肩書を捨てて親にうまく説明できない職業に就くこともなかったでしょう。
※念のため申し添えますが、これは恨み言ではなく感謝のメッセージです


おそらく私も当時のH先生の年齢に追いついて(今年3x歳になります)、「なんであんな尖った人が小学校の先生やってたんだろう?」「その前はどんな学生生活を送ってたんだろう?」と、最近がぜん友達のような感覚で気になっています。

もしまだ長崎で先生をされていたら、夏休み中とはいえちょうど登校日前でお忙しい頃だとは思うのですが、気が向いた時にでもお返事いただけると嬉しいです。暑い日が続きますがご自愛ください。

マグネットでネチケットを叩き込まれた世代なので、H先生やわたし個人の特定につながる情報はできる限り伏せました。ただ、小学校の記憶にまつわる部分(大まかな年代や地域、固有名詞など)はあえてぼかしを薄めにしています。
小学校にはうまく馴染めなかったけれど、もし一人でもあの『杜子春』やH先生のことを覚えている人がこのnoteを読んでくれたなら、今からでも20年来の友達になりたいから。
この記事のコメントかツイッターのDMでご連絡ください。よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?