不可能であること

生きていてわけもなくつらい気分になるときがある

たぶんそこにはたいした理由なんてない もともとわたしが考え込みやすいタイプだということ 家族関係で人並みに傷ついて来たこと 頑張りやすい・罪悪感を抱きやすい体質であることなど あげることはできる でもそこに答えなどない わたしにわからないのだから答えなどないのです

今日もすこしかなしいきもちだった 田舎に帰ったあと 東京に戻って来て 木々や土の匂い、風の感触が恋しくてつらかった そして眠りすぎたから体が痛くて 

過去のわたしはつらい気持ちになると小説や絵を書いていた 中毒というくらいずっとつくっていた でも最近はそういう気持ちも失せたし 表現という行為に何となく嫌悪感を持ってしまっている

人にみせることってしんどくないですか だって人にどうみられるかっていうのは 表現することと本質的には関係のないどうでもいいことだから そこへの意識がはいるとどっと疲れるし そこをつなげてしまう自分もしんどいしつかれる 絵かきたいけど 絵かいたら人にみせるのやだし じゃあ描いてなんになるのみたいな気分もあるし 生きてるってなにみたいになる 義務がきらいだ 自主的に選択されてない行為がきらいだ

つかれた、くたびれた と思いながらシモーヌ・ヴェイユをなんとなく手にとって読んでみた むかし読んだ時 非常に惹かれたり共感するところもありつつ このひとは自分が抑圧的なのを信仰心とすり替えてるようで苦手だ、と思っていた 今回読んでみたら まあそういうところはある気はしつつ でも適切な信仰心というか(ひどい言い方だなこれ) ひらかれた状態に心をおくことについて さすが頭のいい人だからちゃんと考えている気がした 

ちょいとつまみ読みしてやめて ぼーっとしてた ふと人生は不可能であると感じた

わたしの悲しみは人生が不可能であることの悲しみだったのだと思った

わたしはあなたのことを理解できない わたしは木々の匂いをつねに手に入れておくことができない 流れていく時間をとめることができない 忘れてしまうことがらを覚えておけない 約束をやぶってしまう はたされなかったこと 嫌われること好かれることをコントロールできない 人生の意味を理解することができない 星占いをいくら勉強しても理解しきるということがない

だのに人生はわたしに訪れてわたしを傷つける さまざまなかたちで それは喜びというかたちであったり 悲しみという形であったり 実際の怪我であったりする さまざまな経験がわたしを傷つけていやがおうでも自分という存在がひらかれてあばかれていく その苦しみだった

生きることの苦しみにはほんとうには意味はないのかもしれない だって会社がいやだとか家族にひどいことを言われたとかそういうことってほんとうは意味がないのかもしれないと思う ただ生きるということは自分のたましいが不可能である世界に暴かれてひらかれることだから わたしは苦しくてかなしくて悶えているのかもしれない わたしは決してわたしを理解できない 世界を理解できない なにもわからない だれにもさわれない そして死んでいく 終わってしまう

どうだろう かつてはそこに瞬きを見出して わたしはそのきらめきを握り締めようとしたんです でもそれがこぼれ落ちていくこともゆるせるようになった? のかもしれない でもそのときに感じるのはかなしみなんだよ ただ涙がつーっと頬をつたうようなしずかな悲しみがずっと続く それがいまの人生

自分はそのへんの人よりまあまあ努力家だったとおもうし 禁欲的自罰的に努力するタイプだったとおもう でもいまそういう努力ってすべて無駄だと思ってる そこに至るまで長かった気がする でも人生はどうにもできないことなのだと、自分というのを永遠に理解することはないのだと、ほんのすこしわかってよかったとも思う

好きな人とセックスしたいな 永遠にわかりあえないひとと幸福なセックスできるっていうふしぎなことがおこる わたしは不可能にひらかれている 不可能がおとずれて意味もなくさっていく そんな人生



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