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2024年 3月の振り返り

3月も瞬く間に過ぎていき、気づいたら振り返りnoteを書いている。3月、自分の中で勝手に決まったテーマソングは、BTSの「봄날 Spring Day」だった。冬の終わりが近づき、春を待ち望む季節に聴きたくなる曲。自分の心情も歌詞とリンクして、より意味深い曲になった。

3月の上旬は実家に帰省していたのだが、久しぶりに風邪をひいてしまい、家族と過ごす時間はまともに取れなかった。それも、随分とひどく風邪をひいてしまったようで、喉は痛いし、声も出ず、1週間ほど安静にしているしかなかった。でもそのおかげで、ここ最近あった出来事や、自分の気持ちを整理することができたのはよかった。いつも実家に帰ると、こうやって言葉を綴ったり、本を読んだり、思考の旅に出なくなってしまう。それは現実が充実している証拠でもあるのだけど、私は現実と空想の世界の両方を行き来しながら安定を保っているような生き物だから、目の前が現実だけになってしまうと危ない。でもその反対に、一人でずっといるようなときは、ひたすら空想に耽ってしまうから、それも危ない。
というか正直、どこからが現実でどこからが想像なのか、私にはよくわからなくなる。それも頻繁に。目の前の相手が発した言葉は、そのままその言葉ではなく、私の言葉になって認識されていくし、ある人の行動も、私の理解によって意味づけられていく。何が本当なんだろう、とよく思う。私が見ているこの世界と、隣のあなたが見ているその世界とでは、全く別物なのではないか、と。だから、ここに書いていることも、もしかしたら事実ではないことが散りばめられていたりするのかもしれない。でも、私にとってはどれも本当なんだ。

3月中旬には大事な予定があったから、それまでに風邪がほとんど治って安心した。いろんな人と、少しずつ心を分かち合っていく時間。互いを理解し、疎通するのに、いくら時間があっても足りないと思う。ずっと一緒にいるような親友のあの子のことですら、いまだによくわからないのだから。家族だってそうだ。隣にいたって、肌の温度を感じるくらいの距離にいたって、わからない部分はいまだにわからないままだ。だから私たちは、理解しようと努力して、寄り添うことができるんだとも思う。完全な理解、完全な疎通が成り立ったなら、共鳴することも、それが私たちの心を揺さぶることもなくなってしまうだろうから。私は人間のこの不器用さ、不完全さ、もどかしさを愛おしく思う。ときにはとても憎いけれど。

3月後半は、楽しみなこと尽くしだった。友達と2人で、5泊6日の韓国の旅に出た。いつも一緒にいる友達だけど、泊まりで旅行したことはなかったから、なんだか新鮮だった。私にとって韓国は、特別な存在だ。ここではざっくりと触れるだけにするが、いつか自己紹介で詳しく書こうと思う。私は昨年、半年ほど韓国に留学していた。そこで出会った大切な人たちと、今回も連絡を取って会う約束をした。

大切で、大好きな人たちとの再会。こうして再び会える日をずっと待ち望んでいたが、その幸せな想像が本当になって胸がいっぱいだった。幸せな想像が、幸せに実現されるということは、いつもあるわけではないけど、そうなったときの喜びはとてつもなく大きい。だから私はまた幸せな想像をしてしまう。たとえそれが失望に終わることがあると知っていても。
久しびりに会って、顔を見るだけでも十分だと思える人がいる。出会ったということ、接点が生まれたということ、名前を呼んでもらえるということ、それだけで、もう十分だと思ったりする。5泊6日、満足な旅だった。一緒に行ったその子にとっても、素敵な旅として残っていたらうれしい。
いろんな人と会って、いろんな場所に行って、いろんなものに触れるなかで、私は私を見つけたり、見失ったりを繰り返す。見つけたと同時に、見失っていたり。でも、なんだか少しずつ、いろんなものの全体像が見えてきたような気もする。少しずつ鮮明になって、分かることが増えて、あれとこれとが繋がって。私が行き着くべき場所にはまだ到底辿りつかないのかもしれないけれど、そこに向かうこの一歩一歩の歩みはきっと無駄にはならないと信じている。私のこの生は、歩みは、きっといつだって尊いものだ。

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