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夜の桜

死の気配をぬぐうように、桜の下をくぐった。


いまの仕事は、看取りまでの時間を安らかに過ごす方たちと接する機会が多い。
命が終わることを待つ、その空間は言い表しがたい独特の雰囲気がある。言い方はあれだが、その気配を背負ったまま退勤している気がする。

最寄駅から自宅までに、3本の桜がある。
ひとつは警察署の濃いピンクの桜、ひとつはごみ置き場の前にそびえる桜、もうひとつはT字路のつき当たりで、どうだと言わんばかりにしだれている桜。
どれも水銀灯のつめたい光に花をさらしていて、静かで綺麗だ。とくにT字路の桜は、信号待ちのあいだ鑑賞するために置かれた美術品のよう。


退勤後、自転車を止めて、その3本の桜を目から体へくぐり抜けさせて、帰る。
それでなんとなく、職場から背負ってきた「気配」を霧消させて、心も体もみずみずしくなる。

それができるのは、桜が死の気配と離れているからではない、気がする。むしろ逆だと思う。暗闇に浮き上がった桜にはこの世と違う場所にあるような、温度のない美しさがあるから。

失恋したとき、落ち込むのをやめようと明るい曲を聴けば聴くほど自分の悲しさが浮き彫りになるのと似ている。癒したい気持ちがあるときは、それに近くて、それをよく知っていて、でもそれをも超越するものに触れるのがいいと思う。

夜の桜は、死を知っていて、それをも包みこむ広さと深さがある。

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