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ケーキに関する雑多

ケーキってほんとうに素敵。
たとえ身に災難が降りかかっていても、食べてる間の数分は周りをヴェールに包まれて、かりそめでも幸せになれるから。

やわやわで、幸せの象徴としてその傍らにいる、ケーキ。家にちょうどいいフライパンがなかったり、布団カバーが破れていたりして買うべきものはたくさんあるはずなのに、私たちはかわいいケーキ皿やそのお供のティーカップばかり眺めて、思わず買っちゃったりしている。

私はケーキ屋さんでバイトをしていたことがある。
町のケーキ屋さんという感じで、ロールケーキはクリームをスポンジで包むタイプではなく、昔ながらのうずまき状だった。メロンのショートケーキには皮つきのメロンがそのまま刺さっていて(食べにくいのでは?)と思ったりしていた。
「ちょっぴり砂糖があるだけで苦い薬も飲める」つまり、どんな仕事にも楽しいところがあるよ というメリーポピンズの曲があるけれど、それで言えばケーキ屋さんのバイトはそこらじゅうに砂糖が散らばっていた。
大きなボウルいっぱいのカスタードクリームをシュー皮にみっちり詰めるとき、その上に粉砂糖をふるうときの妖精になったような気持ち、ロールケーキに使うスポンジが焼き上がったときの店にあふれるにおい。働いていて、幸せになる瞬間がたくさんあった。
夏にエアコンが壊れたり、パートさんが自分のスマホで店内BGMを流していたり、かなり変なケーキ屋ではあったが、振り返れば自由奔放で楽しいところだった。
ちなみに私が辞めてからしばらくしてお店はつぶれた。自由奔放が裏目に出たんだろうな。

そして今日は、とてもおいしいケーキを食べた。
フェッテという小さなお菓子屋さんのケーキ。

フェッテのケーキ チョコケーキは母が半分食べた

めっっっちゃおいしい。
ショートケーキにはマスカット、パイナップル、キウイ、オレンジなどが挟まれている。
チョコレートケーキはチョコレートのスポンジにチョコレートクリームがいくつかの層になっていて、そのうちひとつはガナッシュの層。

2つとも、繊細さがある。ピアニストの指先みたいな。あんまり詳しくないけど、ラヴェルの水の戯れとかを弾いてる指先みたいな感じの、味というか雰囲気。
具体的にどこがそう思わせてるのかを言い当てることができないけど、スポンジのきめ細かさなのかな?あとは生クリームのちょうどよい水分とか。全体的に潤いがある。
特筆すべきはチョコレートケーキのガナッシュの口どけ。ほどよい苦味のあるぶあついガナッシュが、すうっと溶けてなくなる。

寄せては返す波のように、絶え間なく次のひとくちを切り取って放り込んでしまう。脳が快楽!快楽!って叫んでいる。過去にない速さで目の前からケーキがなくなった。

やっぱりケーキも構成が大事なんだなと思った。ここは甘く、ここはさっぱり みたいな。どこをいちばん見せたいか、でもだからこそ脇役はどこまでもなめらかでないといけない、とか。
作曲をする友達が構成の話をよくしている。主題、とか、展開部、とか。私は曲を流れで捉えるよりは「この曲のここが好き!」と部分的に見るから、そういうものなのかーと思って聞いている。
でも考えてみれば、私たちが娯楽として楽しむほとんどのものに構成がある。漫才もそう。ここで伏線を入れて、最後に大きな笑いをつくって、、とか。ケーキもそうで、おいしいものをただ盛り込めばいいわけじゃなく、これを目立たせたいからここは控えめにして…とか、多分めちゃくちゃ考え抜かれていることが伝わる。

そういうわけで、とても良いケーキを堪能できて幸せだった。
構成のある芸術品に互換性があるとすれば、曲からケーキを作ったり、ケーキから曲を作ったり、そういうことができるなあと思ったり。

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