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たくさんの過去

さいきん、仕事で1人のおばあちゃんの食事介助をしている。
ミキサーにかけた料理をひとさじずつ口に運び、かすかに喉が動いたのを見計らってつぎの一口を用意する。

私の担当しているおばあちゃんは、まったく喋らないから声を知らない。たまに少し咳き込んだときに声帯がふるえて、声らしきものを聞いたりするくらいで、どんな話し方をする人なのかは分からない。
今日は晴れてますねえとか、緑がきれいですねえとか話しかけたらにっこりしてくれる時もあるくらい。

ご飯を食べるテーブルの上に写真が置いてある。その人の若い頃で、赤ちゃんを二人抱いて、割烹着を着て忙しそうにしている写真。誰かと会話しているのか、口が お の形に開いている。
それを見て私が「お子さんですか?」と聞くと、それまで頷くことも首を振ることもなかったおばあちゃんがゆっくりと首を縦に動かした。
その写真を撮った時のまわりのざわめきとか天気とか、そういうものがこの人の体のどこかに残っているのかもしれない。

ますます、この人はどんな人だったんだろうと思った。ケアマネジャーが家族から聞き取った情報によると、10年ほど前までは身の回りのことは自分でやって、一人で暮らしていたらしい。
私が中学生のころ、この人は気丈なおばあちゃんだったのだろう。元気なうちに話をしてみたかった。もう開かない箱を、開けてみたかった。

私の働いている施設には100人ほどの利用者さんがいる。そのひとりひとりに何十年の人生があり、それをいま目の前にある体がくぐり抜けてきたことを冷静に考えると、嘘だろ?という気持ちになる。そう思うとここはすごく鮮やかな場所だ。思い出の総量や、種類で言えば。

しいんとしたこの食堂で、時間を60年ほど一気に巻き戻したらどうなるんだろう とか、そういうことを考えながら私はスプーンにお粥を乗せている。

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