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旅のこと、本のこと。──『僕が旅人になった日』発売に寄せて【エッセイ掲載のお知らせ】

20代後半のころ、会社を辞めて長い旅にでた。

ありがち、と笑うだろうか。べつにそれ自体は全然、かまわないけれど。

たしかにいまの時代、「新卒で会社員3年くらいやって海外放浪へ」なんてめずらしいことじゃないだろう。ありがち、かもしれない。

あーいるいる、そういうひとたち。くらいの。

ただその「ありがち」を、どちらかというと嘲笑めいたニュアンスで発するおとなに、なりたくなかった。

「ちょっと長期で、海外行こうと思っていまして……」

旅に出る前、何かの席でその決意を共有したとき、年上のだれかが言った。

「あー。20代後半くらいのね、そういう時期あるよねえ〜。俺も若いとき、そんなこと思ったりしてたわぁ〜」

なんだろう。さわやかに言ってくれるなら、何も問題ないのだけども。

ただ、その口調と視線からは「いやぁ、若いねえ。青いねえ。夢見がちだねえ」というのがにじみ出ていて、わたし個人との対話というより、「大きなカテゴリ」として彼の中で自動処理されたような感覚があって、当時のわたしはどうも腑に落ちなかった。

おい、おっちゃん。わたしは“20代だから”旅に出るんじゃないよ。ただ個人としてなんらか思うところがあって、いま旅に出たいと思うから出るんだよ。あなただって本気で旅がしたいと思うなら、何歳でだって、なんとかして、旅に出たらいいでしょう!

心のなかで、そんな気持ちをころがす。

同時に、思った。

わたしがこの先、30代、40代になって。ある日、目を輝かせながら「ちょっと、旅に出ようと思っていまして……」とひそやかな決意を共有してくれた若者が、もし、いたとして。

そのときに「あー、そういう時期あるよねえ。わたしも君くらいのとき、そんなこと思ったりしてたわー。いーねぇ、若いって」と、どこか憐れむような目で返すおとなには、なりたくないなぁと。

どちらかというと、「お、いいね! ただ、安全にはくれぐれも気をつけて」ってわくわくと真剣さが混じったみたいな目で送り出す、そんなおとなになりたいと。

そのためには、一度行きたいと「思って」しまった以上、やっぱり自分が行っとくしかない。

じゃないとわたし自身が「思ったりしてたわぁ〜」のひとになってしまう。

当時、いろいろと迷いながら、それでも最終的に旅へ出ることを決意した背景には、そんな気持ちがあった。

「旅」には、ひとつとしておなじものがない。

たとえ行き先や手段、目的が同じだったとしてもだ。その旅の色どりや色合いは、みなそれぞれにちがう。

そして旅人は──いちどでも自分の旅をしたことがある人は、それを体感として知っている。

人生はよく旅にたとえられるけれど、極端なことをいえば人生だって、最後の目的地はみな同じだ。それでも生き方は、ほんとうに千差万別。

そう考えると、「20代で旅に出ました」はほぼなにも言っていないことがわかると思う。いや、何もというわけじゃないな。ある意味重要だ。人生でいうと「生まれました」みたいなステージだから。

ただその時点では、スタートラインに立ったというだけだ。

だから旅をするひとに、たとえば「20代で旅に出ました」と言っても、「うん、そうか。で?」と言われる気がする。

見ようによっては冷たい反応ともとれなくはないけれど、突き放しているのではなくて、その先を聞こうとしているのだ。逆にいうと、その事実だけでカテゴライズされ「ありがちだね……」と冷笑されることもないはずだ。

それであなたは、いま、どんな旅をしているのか。

これから、どんな旅をするつもりなのか。

どんなことを考えて、そう決めたのか。

たいせつなのはそっちだと、旅人は知っているから。

これはいま、ちょっと思いつきで書いていることだけれど、「旅に出ようと思って」は、「ちゃんと自分の頭と心で生きようと思って」と、あまり遠くないような気がしている。

旅、が特別なわけじゃない。

だってそもそも、人生は旅だ。

けれどわたしたちは、日常がつづくなかでときにその事実を忘れてしまう。そしてときにはそのまま、自分の頭と心にしたがって動くことを忘れた日々を送ってしまうこともある。

だから、本来は備わっているはずの「人生を『旅』として生きる感覚」を、非日常の旅に出かけることで浮き彫りにするんじゃないか。ふと、そんなふうに思った。

もっというと、旅人、が特別なわけでもない。

わたしの友人知人には旅好きも多いけれど、親しく気が合うひとでも旅好きじゃないひともいる。そういえば、昔は「旅好きのひととじゃないと結婚できない」と言い続けていた自分が、旅に興味がない夫とあっさり結婚したの、自分でも長らく謎だったんだけども、いま書いていてなんかわかった。

ふだんから「自分の頭と心で生きる」の実践に慣れているひとには、わかりやすく非日常の「旅」に出かける必要が(あまり)ないのかもしれない。

日常を、毎日を、それがつづく人生を、ちゃんと「旅」しているから。

一方でまわりの環境にすぐ影響されて感覚が鈍ったりする自分は、やっぱり「非日常」の旅にでかけて(まわりの環境をわかりやすく変えることで)、ときどき感覚をリセットしたい、と思うのだろうな。

……長い前置きは読まれないとわかっていながら、ひさしぶりにとりとめなくつづっているこの文章、だれかにとどいているんだろうか?

だれかひとりくらいには、届いていたらうれしいけれど。

昨年note上で開催された「#旅とわたし」のコンテスト。投稿された4000件以上の作品のうち、20名の旅が収録された本がきょう、発売された。

タイトルは『僕が旅人になった日』(TABIPPO編/ライツ社)。

奇跡的なことに、20名のうちのひとりとして、わたしの旅もおさめていただいている。noteで知り合った方々のお名前もいくつかあって、うれしい。

コンテストが終了し、ご連絡をいただいたのが昨年の夏。それからライツ社の大塚さんとやりとりをさせていただき、原稿がパワーアップ。書籍編集者さんの力を思い知る。

そしてすばらしい旅の写真やイラスト、レイアウトや装丁など各界のプロ技が集結して、発売間近……という時期にあの情勢で旅がむずかしい状況になり、その影響で発売が延期になったりもして……いた一冊が、このたび、ついに世の中に出た。

たいへんな情勢の中、このプロジェクトを最後まで遂行してくださった関係各位のみなさま、ほんとうにありがとうございました。その一端にかかわらせていただいたこと、心から光栄に思っています。

さて発売直前、完成した本が手元に届いた。

箱から取り出して、まず、その厚みにびっくりする。

えっ、真ん中あたりのページでひらいて持つと、右手と左手にそれぞれ本一冊分くらいのボリュームがあるよ(伝われ?)。

ああ、ここに20人分の旅がつまっているんだな。見た目の第一印象からもそう実感するのに足る、充実の一冊となっていた。

(ちなみに、完全に個人の感覚だけれど、同人誌づくりや書籍の裏方仕事に縁のある自分としては、これだけ充実のボリュームで、こんなカラーページ多くて、こんな素敵な装丁や写真やイラスト入りで、しかも表紙とか箔押し加工あり(好き)で、1冊1500円+税って……ぶわわ!となる。規模の経済とか、新しい出版のあり方とかに思いを馳せちゃう。いや、それよりなによりまず、関係者各位に敬礼っ)

えーと。

ちょっとテンションが定まらないし、そろそろ文字ばかりで疲れたので、写真を撮りたいとおもう。ちょっとまって。撮ってくる。

はい、正面。どどん。

装丁は、ひとり旅の「孤独とワクワク」が入り混じった感情を表現することを第一にされたとのこと。

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はなやかなだけじゃない、不安やどきどきも込みの雰囲気。冒険味があるなぁ。実際、20人の旅を記録した冒険の書だし。

そして、つたわれ……、

384pのこのボリュームよ……(横にiPhone置いてみた)、

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さらに、つたわれ……、

マットな紙質に黒の箔押し(好き)……、

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ああ、やっぱり、紙の書籍が好きだ。

Web上のコンテストだから、もとになったエッセイはWebでも読めるけれど、こうやって紙の本になったものは「もの」として手にとる喜びがある。

そして、おまけ。

コラボレーション with だれかの手(わたしの掲載ページ扉です)。 

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ちなみにここにのっている話は、冒頭で触れた「長い旅」の話ではない。

大学生のとき、初めてのひとり旅でタイの田舎に1週間、ホームステイしたときの話がメインだ。

でもこの旅は、そのあとのたくさんの旅につながる、「入り口の旅」だった。……って原稿の中にも書いたけれど、ほんとうにそうだったな。

昨年noteに書いた原稿から、加筆したり表現を変えたりといろいろと変化もしている。よかったらひょっこり覗いてみてもらえると、うれしいです。

……さて、ぶれにぶれたトーンをそろそろもどそう。

というわけで、20人分の旅がつまった、冒険の書。

読んでいると、自分の旅とはまた全然ちがう旅が次々に登場し、あらためて旅の色合いの豊富さに気づかされる。ひとくちに「旅」といっても、その色合いはほんとうにひとりひとり、違うのだ。

けれどそのどれもが、そのひとの人生にとって、なくてはならない要素。ページをめくりながら、その濃度がひしひしと伝わってきたし、何度も心をうたれた。出てきたフレーズを、心にかきとめた。

中でも個人的にいちばん心に残ったのは、余命宣告をうけたお父さんを連れ、長年お父さんの夢だったというユーコン川の川下りをしたという河口尭矢さんのエピソード。

家族への思い、旅の過酷さ、そして自然の雄大さ……。男親子ふたりの冒険のときを思い、しずかに心が震えた。

ひとりひとり、違う色を帯びている。

そんな旅がぎゅ、ぎゅ、ぎゅうと詰まっている。

“無数の旅の形がある”

読み終えていまいちど、そう思った。

そしてまた思う。

まだわたしの旅も、全然、これからだなぁ、なんて。

“おい、おっちゃん。わたしは“20代だから”旅に出るんじゃないよ。いま旅に出たいと思うから出るんだよ。あなただって本気で旅がしたいと思うなら、何歳でだって、なんとかして、旅に出たらいいでしょう!”

過去の自分の気持ちを思い出しながら書いた、冒頭のこのフレーズ。書きながら、自分でちょっと耳がいたかった。

当時のわたしは、お金が、仕事が、家族が、体調が、なんて、ぜんぶ単なる言い訳だと思っていたもんな。

ただその後何年も経ち、妊娠中に寝たきりになったり、生まれたばかりの娘におっぱいを与えていたりしたころは、「あ、言い訳とかじゃなくて、これほんとに自分の意志だけじゃ動くのむりなやつだ」と身体で理解した。もしかしたら、あのときのおっちゃんも、やむにやまれぬ事情でいろんなことをあきらめただけかもしれない、と今は思う。

でも一方で、タイミングはひとそれぞれだけれど、やろうと思えば(いろんなひとに頼ったりしてなんとかどうにかこうしてなら)できるチャンスが、多くの人には存在しているのも事実だ、とは思う。

わたしも産後長らく「もう自分のやりたいことなんてできない」呪縛みたいなマインドを引きずっていた気がするが、数年後にふと「あ、わたし、実は短いひとり旅とか、すでにやろうと思えばできるじゃん」と気づいた。思ったタイミングではコロナ情勢だったから、まだ出られていないけれど。

なんだかんだいって、この3年ほど、心のおもむくままに出かけるような旅は遠くなったままだ。

それでも機がきたら、また旅にでる。

ときには家族と、ときには友人と、ときにはひとりで。

だってわたしは、“20代だから”旅にでたわけじゃないもんね。

身軽さはたしかに変わったし、制約だってふえたけれど、それにあわせて旅のかたちもいろいろと変化しながら、旅はつづく。


だからその日まで、20人の冒険の書で予習しておこう。

ちなみにわたしは、もともと星野道夫さんが好きで、死ぬまでにオーロラはぜったいに見ると決めていたのだけれど、河口さんのユーコン川エピソードを読んでその想いをあらたにしたのでした。

旅、いいなあと改めておもえる一冊です。

みなさんもいつかの旅のために、よかったら。

※ところでAmazonのページ、スクロールしていくと下のほうに20の旅の見出しが公開されている。見出しをながめているだけでも、ひとりひとり違う「色とりどりの旅」が見えてくるなあと思った次第……。とりあえず目次だけでもながめてみるの、おすすめです。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。