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土曜の夜のだらだら日記

頭のなかをたくさんのことが通り過ぎてゆく。

今日は朝から娘の保育園の新歓遠足だった。9時の現地集合に間に合うべくちょっとだけ早起きをし、自分の朝ごはんをキッチンで立ち食いしながらバババとお弁当を準備する。母どっと疲れ、出発前にもう遠足を終えた気分。

毎年恒例の、この時期の新歓遠足。我が家は昨年も参加していたから今年はようすがわかっていたけれど、昨年はじめて参加したときにはかなりのカルチャーショックだった。

なんというか、知らない世界だったのだ。

場所は、市内の動植物園。その植物園のほうの入場門前に集合するのだが、もう着いてみれば、保育園名を書いたプラカードを掲げた数々の保育園の先生方が、わあわあと集合をかけている。目を凝らして、目当てのプラカードを探す。これはあれだ。大学の新歓時期を思い出す光景だ。それが同世代の集まりじゃなく、基本的におちびちゃんたちを含む家族連れで構成されているのだから、現場はそれはそれはカオスだ。

そしてついに入園ゲートが開く。門のところできゃあっという悲鳴とざわめきが起きたので何事かと思ったら、先頭で待機していた各保育園の若手エース先生たちが、青いビニールシートを持ってダッシュで飛び出したのである。どこかのテーマパークだろうか。いやしかし、なんの誇張もなく、もはやそのレベルなのである。地方都市の、ふだんはまったりとにぎわっているくらいの植物園がだよ。

そんなの、まったく、知らなかった。大学時代からこの地で暮らしていた夫も、こんな世界、親になるまでまったく知らなかったよと言っていた。

なんでもこの4月後半の土曜日というのは、どこの保育園でも遠足を企画していることが多く、かつ市の植物園というのは園児のピクニックにはうってつけの芝生広場がある場所なので、毎年大人気のようなのだ。解散後には隣接する動物園に行ったりしてもいいですよという立地だから、まあ遠足には願ったりかなったりの場所だというのも頷ける。

芝生広場にはところせましと大判のブルーシートが敷き詰められ、あっちでわいわい、こっちでわいわい。どの園も、保育士さんたちが手拍子でリズムをとって歌をうたったり、体操をしたりしながら、園児たちをひっぱってくれる。すごいよ、あれは、プロ集団だよ、と、わたしは思う。頭が下がる。

11時前頃、ひと遊び終えたころには早めに各シートでお弁当タイムがはじまる。このときの芝生広場は、もはやいち保育園の遠足という感じではなく、小学校の全校遠足みたいな規模感である(ヘッダー画像はそのごく一部)。

参加したのはいち保育園の小さな遠足のはずなのだけれど、もう、なんのイベントに参加しているのかだんだん頭がぐわんぐわんとなってくる。ああ、今年は風邪で咳がとまらないからよけいに。解散後はわたしは木陰に座らせてもらいつつ夫に娘を任せ、娘のありあまるエネルギーにつきあってもらっていた。

* * *

ぎりぎりまで遊びたおして自転車のチャイルドシートでコテンと寝た娘は、家に帰るとわりとすぐ起きて活動を開始した。疲れたからちょっとみんなで昼寝しようや、と思った両親は結果的に眠れず。まあそういうものだよね。

その合間に、わたしは1週間ほど続く咳が悪化し、発作的に止まらなくなったりして涙目の事態に。数日前に近くの病院でもらってきた処方薬を飲んでようすをみていたのだけれど、またひどい発作が襲ってきて、いややっぱ全然薬きいてないし、また病院行こう、と土曜の午後やっている病院を検索。運良く近くに見つかったので、でかけさせてもらう。

たまたま内科の中でも呼吸器系の専門の医師だったのでよかった。なんだか強そうな内服薬と、漢方と、吸入薬が出て、ちょっと精神的にのりきれそうな気がしてくるという効果あり。夜中はほんとうに咳がひどくて、苦しくてなかなか眠れなかったのだ。今夜は眠りたい。薬よ効いて。

* * *

その後はちょっと必要物の買い出しと、仕事の作業タイム。

来週は夫がイベント前で仕事に集中したいウィークとなっており、わたしの育児家事負担が増加する見込み。そこで逆に今日の午後は、わたしが自分の作業タイムとして確保させてもらったのだ。こうやって我が家では日々トレードが繰り広げられている。

繁華街で少しだけショッピングをした後、カフェに入ってインタビューの文字起こし。

途中、咳がとまらないので必死にマスクとタオルを口に押し当てて乗り切るも、やはり何度かつづくと隣のひとへ申し訳なさにたえきれず、トイレに立つふりをしてちょっと発作が落ち着くまで外へ出る。

自販機で水を買って、新しく処方された薬を飲み、トイレの個室で吸入薬をひゅうと吸った。

* * *

そうして夕方は、ある習い事関連のイベントへ。

今日は先生や先輩方が舞台にのぼるので、撮影がてらそれを見学に。本番前、裏で練習する先生や先輩たちに挨拶。

ここはまた、まったくべつの世界。わたしの仕事とも家庭とも切り離された、第3の世界。

育児から仕事、仕事から趣味。今日の脳みそは目まぐるしい。

* * *

そんな1日を終えて、ふと降りてきたのが冒頭のひとことだった。

“頭のなかをたくさんのことが通り過ぎてゆく”。

新歓遠足をやっているときは、新歓遠足のことだけにフォーカスしてnote書きたいなあと思っていたのだけれど、1日を終えてみたら、もはや新歓遠足がはるか遠くのようなことに感じて、今日という日に詰め込まれた要素の多様さのほうが自分のなかで印象に残った。それでこんなだらだらとした日記を書いている。ただただ、自分が気持ちを整理してすっきりしたいがために。

1記事1テーマが原則、といわれる世界では書けないことを、noteではときにだらだら書いてたい。ここでなら、それが許されると思っていたりする。

メッセージをしぼろう、主題を明確にしようと言われれば言われるほど、メッセージなんて絞れるかこのやろう、と思っている自分が常にいる。べつに本気でこのやろうと思っているわけではもちろんないし、仕事はちゃんとやる。求められたものには答える。そこにわたしの居場所があることをありがたく思う。

ただ、それに「慣れ過ぎたくない」という思いはずうっとある。こうして個人で書くものは、だからできるかぎり、とりとめなくつづっていたい。

すっきりなんて生きられない。いや、わかっている、べつに世の中のビジネスパーソンも、そういうことを言いたいんじゃないんだとわかっている、みな効率よくぽんぽんとやりとりを進めたいだけだ。わたしも大いにその恩恵にあずかっている。ありがたい。ただわたしが、こどものころから天の邪鬼なだけなんだ。

ほら、わたしって人間ひとりだって、「いちメッセージ」に絞ったら、ほんの一面だけを切りとって伝えるしかない。それは嘘じゃないけれど、「わたしという人間=それです」ととらえられたら途端に嘘になる。そうしてメディアでは、そんなふうに捉えられることが多い。ほんとうはそれはわたしの一部分であって、それに対立するような一面だってわたしの中にはあって、つねに葛藤しているかもしれないのに。

* * *

ああ。生きるって毎日いろんなことが起きる。いろんなことが起きて、その大半がとくに深く意識されることもなく、流れるようにとおりすぎてゆく。それがとても愛おしい。

処方された吸入薬を公衆トイレでひゅう!と勢いよく吸い込みながら、なぜだかとてもそんなことを考えた。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。