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使命が分かりません。

自分らしく生きたいと思うとき、わたしの使命はなんだろうと思いを巡らせることもあるかもしれません。

使命とは、◯◯のなかにあるもの

◯◯に入る言葉はなんだと思いますか?

答えは、自分です。使命というのは、だれかに与えられたものや、教えてもらうものではなく、自分で思い出していくものです。それは、自分の魂が、今世やりにきたこと。地球に生まれ落ちた瞬間、その目的をわたしたちは忘れてしまいますが、思い出すことはできます。

望みが叶わないのは、魂と乖離(かいり)しているから

やってみたいということはなんでも挑戦して、行ってみたい国にもさんざん行きました。ハートに従って生きようと20代のときに決めたからです。

フリーランスでライターを始め、自由な生き方ができるようになったものの、それでも仕事としてしっくりきたり、熱意になるものではありませんでした。得意のダンスでYouTubeでバズったこともありますが、続きません。自分はなにをやっても中途半端で、続かない、そう思いました。

なにかがうまくいかないとき、それは魂の望みとずれている可能性があります。魂の望みとは、はじめにおはなしした、今世やりにきたことです。

エゴについて知る

ここで、エゴのお話をしたいと思います。

エゴとは、一般的に、欲とか自己中のような意味で使われるようですが、ここでは、生まれてから生きていくうちに身につけた思考パターンや思い込み、観念などと同一視した自分を指します。

この思考パターンや観念というのは、いまの社会でうまく適合して生きていくために身につけた、いわばサバイバルのためのもの。自分らしく生きたいと思うとき、適合するために取り入れてきた観念は邪魔になると思いませんか?

わたしたちは、まっさらで生まれてきます。思い込みや観念などありません。そこから、身近な親や、学校の先生、社会との関わりのなかで学習、選択し、あらゆる思考を取り入れていくのです。

つまり、持っている思考パターンの多くは、本来、純粋な自分のものではないのです。

自分以外のいろんな思考パターンや思い込みでいっぱいのひとが、「こんな夢を叶えたい!」と言ったとき、それが魂とずれている可能性がある、というのはわかったでしょうか。

使命を見つけたり、今世やりにきたことを思い出すには、エゴを溶かしていく必要があります。多くの人は、だれかの観念でいっぱいのエゴを自分自身だと認識していますが、エゴは、本来自分ではないのです。

エゴと自分を同一視しているうちは、使命を生きられません。エゴを溶かした先に、ほんとうの純粋な姿の自分が現れます。ひとは、だれしも純粋な愛の存在で、その自分が持てるパワーは、とても大きなものです。

ひとがいちばん恐れているのは、挑戦して失敗することなどではなく、ほんとうの自分を生きること。自分が本来のパワーを発揮したときのすごさをどこか潜在的に知っているからです。

使命はありません

さんざん、使命についておはなししてきましたが、じつは、わたしはアンチ使命派です。次回は、その理由についてお話したいと思います。

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