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正直者は、ただ損なのか

ほとんどのひとにとって、どうでもいい話だと思うけれど、わたしが自分に正直でいること、そしてそれをひとりごとでもいいから語ることは、わたしにとってのセッションに代わるかもしれないから、今日もこうして書いてみる。

導かれるように、予想すらしなかったヒーラーという道にたどり着いたものの、これまでどうしても気が進まずに個人セッションができなかった。ヒーラーの仲間とか家族にしたり、自分にはもうずっとしているんだけれど、お仕事としてはエネルギーが乗らなくて、できずにいた。

正確には、やりたいときは何度か訪れたけれど、募集したところでお客さんがいない。の繰り返し。うそがつけないわたしは、集客だってうまくない。最近になってまたセッションすることが、楽しいぞ!と思ったからモニター募集として何人かやらせていただいた。

いただいたフィードバックも良くて(自分に向き合うひとの姿はやっぱりうつくしいという意味で)、よし、これからお仕事としてやってくぞ、というときに、スイッチが入らなくなってしまった。ひとつは、体調のせいもあるけれど、違うことをしようとすると体にもろに出るので、そっちだったのかもしれない。

「ヒーラーは、在り方だ(個人セッションをすることが、必ずしもヒーラーではない)」と言いつつ、ヒーラーであれば、まずは個人セッションから始めなくてはという思い込みだってあったし、セッションをしていないヒーラーに苦手意識もあった。

今回、自分に向き合いたいひとが思ったよりいることもわかったし、数は多くなくとも必要としてくれるひとたちにやっと出会えてものすごくうれしかったというのに、個人セッションを(いまは)しないという選択は、おおげさだけれど勇気がいった。

こんなふうに、たとえばお金のためになにかすることができなかったりとか、自分に嘘がつけない性格は、これまで生きてきた世界では不便すぎて、がっかりすることのほうが多かった。

だけど、いまは、正直でしかいられないおかげで、ほんとうに進みたい道がより明らかになるというのがわかる。ごかまかしのない選択の積み重ねで、わたしという人間の輪郭はより鮮明になる。

今回気づいたことがひとつあって、わたしはやっぱり自分の真実をただ、語っていればいい。そして、受け取ってくれたひとを信頼していればいい。

きっとそのひとたちは、自分のちからで適切な伴走者に出会うし、自分でジャーニーをはじめられるから。

自分の真実を語っているだけでは、いまのわたしはごはんを食べていけないのだけれど、正直者はこれだから困っちゃった。笑

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