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ゲシュタルトセラピー

随分前に申し込んでいたゲシュタルトセラピー講座を受講した。

zoomとはいえ、朝9時半から16時半まで6時間。
病み上がりの私は、果たして体力持つだろうか。

と思っていたのに、始まってみたらずっと前のめりで聞いていた。

知識として知っておくべきかなと軽い気持ちで受講したのだが、すごいものを見てしまった感じだ。

カウンセリングの凄さを見た。

どういうものかは、語れるところまでいってないのだが(守秘義務もあるし)、強く感じたことがある。

それは、自分の心の傷つきや未完了な出来事についてだ。

相手は親や家族、先生や友達、上司や同僚など、いろいろあるだろう。

そんな家庭生活をはじめコミュニティの中でおきた傷つきや未完了な出来事。

以前の私は、それに凹んだこともあったが、傷つきを乗り越えてこそ強い自分なんだと思っていたころもある。

今日のセッションを視聴して、自分でフタをしたままの未完了な出来事に気づいた。

癒されていないもの、と言ったらいいだろうか。

周りにも、身内とのこじれた関係を引きずっているように見える人は少なくない。

それに気づいているのなら、あとはそれを整理すばいい。

いやいやいや、簡単に言ってるけれど、今日のは私にはとても真似できないカウンセリングだと感じた。

でも、その傷つきや辛い思いにがんじがらめになっていたり、何かの所為にしてしまう自分がいるなら、それを解いて癒せば、ありのままの自分になれるんじゃないだろうか。

そんなことを感じる、初めてのゲシュタルトセラピーだった。

最後に、ゲシュタルトの祈りを引用しておきます。

☆☆☆

私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
私はあなたの期待に沿うために生きているのではない。
あなたもわたしの期待に沿うために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
それでもしお互いが偶然出会うなら、それは素晴らしいこと。
しかし出会えないなら、それも仕方のないことだ。

☆☆☆

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