思い出の種。

僕の使っていたマグカップを、2個とも処分した。

どちらも息子が小さい時に、使っていたものだ。
アニメ・キャラのマグカップで、大人サイズ。
使いがってがよかったが、僕の趣味ではない。
実はまだまだ同じような、息子のマグがいっぱいある。

息子も中学生になり、小さい頃のものには、
興味がなくなっている。
好きだったキャラクターも、
小学校のノートも、教科書も、
あっさり、「処分していいよ。」って

でも、嫁さんは違う。
嫁さんが息子が喜ぶものを、買ってあげていた。
ノートも教科書も、嫁さんが毎日見てあげていた。
だから、嫁さんにとっては、
息子の物全てが、宝物なのだ。

その気持ちはわかる。
僕にとっても家族の思い出は、
宝ものだ。

息子の誕生日の前夜は、
一人で家族の写真を見て、成長を楽しむ。
毎年の僕の密かな楽しみだ。

でも、しょっ中は見ない。
たまにでいい。

僕は、なんでも写真に撮る、
おもちゃも、靴も、チョットしたお菓子も。

気がついた時は、出来るだけ撮っている。
結構、どうでもいいものでも、
数年後に見ると、時間を遡る強力なキーになる。

物としての実体は無くても、
その写真を見れば、一瞬で当時に時間旅行ができる。
十分だと思う。

思い出感の強いものは、
人の心を、過去に縛りつけてしまう気がする。
だから、しっかりと距離を保った方がいいと思う。

過去を疎かにしたり、雑に思っているんじゃない。
過去を大切にしつつ、
今と未来を、全力で生きなくてはいけないと思う。

過去は、たまに和みたい時、
元気になりたい時に、
一瞬戻れる程度でいいと思う。

だから、息子に断った上で、
マグカップを処分した。

しかし、嫁さんの心の整理を考えていなかった。
寂しそうな横顔だった。

健全な子離れ、家族の成長の儀式として、
使わなくなったモノの処分は、
した方がいいと思う。

新たな“余白”、も生まれる。

そうすれば、今と未来を輝かせる、
新しい思い出の種が、
きっと手に入るはずだ。

と、嫁さんにも伝えたい。










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