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冬枯れの河原を歩く(街で★深読み)

寒くなりました。
春、シロツメクサで覆われていた河川敷(↓)はすっかり冬枯れの景色となりました。

「子供は風の子」とか言いますが、
寒風の吹く河原に、子供は……いませんね。

2 mを超える背丈のススキだけはまだ元気

犬の散歩も稀です。
歩道の散歩と違って、ここならとにかく走り回れますから、運動不足が解消できるし、フリスビーを追いかけキャッチしたり楽しいはずですが……河原に連れて行くのも、ヒトがやらざるをえないからでしょう。
犬の散歩も犬に委託することができればいいのですが……。

こんな風に……どちらがどちらの役を、と揉めるか?

たまにすれ違うのは、散歩中のジジイです。
しかし、そんなジジイも、忍者のようにバットを背中にしょったジジイを目にすると、警戒して間をとります。
ましてや、素振りをブンブンやっていれば、絶対に近寄ってきません。

ふと見ると、川にはシロサギが……。

寒い中、魚を獲っている……?

カメラに収めようと近寄ると飛び立ってしまう ── かなり警戒感が強いようです。

あ、飛んで行ってしまう!

川沿いの高い木には愚連隊のようにカラス軍団も控えており、数で勝る愚連隊とシロサギたちは抗争しないのだろうか?
シロサギは生き魚、カラス君たちは生ゴミ、と職域?が分かれており、平和裏に共存しているのでしょうか?

私が子供の頃は木造で、その下にべニア板で家のような構造物を作り住みつくオジサンがいた橋も、今は立派な鉄筋コンクリートに変わっています。
車は通れず、人と自転車しか通行できないのになんでこんな立派な橋が、と疑問に思う人もいるかもしれない。

人と自転車しか通れない立派な橋

それはおそらく、この橋が、江戸時代、中山道の伏見宿と名古屋城下を結ぶ、五街道に継ぐ交通の要、《木曽街道(上街道、名古屋往還とも)》上にあったからでしょう。

といっても、軍事的な理由から当時は橋がかかっておらず、大きな川には「渡し」がいたようです。
そのせいか、近隣を歩くと、「川邉」さんや「渡邊」さん「長瀬」さんといった表札が多い。

歩いていると、この橋の下、正確にはやや西側の下だけは枯草色に変わっていない。ここだけは植生が異なるようで、丈の高い草ではなく、葉を地面に広げたオオバコのような植物がブイブイいわせているようです。

橋の下やや西寄りだけは緑色が……(写真奥が東方向)。

植生の違いが橋の存在と関係するのは間違いないようですが、橋で遮られたのは「①午前中の太陽光」か「②東方からの雨」か?

うーん、難しい問題だ!

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