母を語れば [1/3] (エッセイ)
母の日に。
個人的な話ではありますが、《ジジイの忘備録》です。
ご参考になるかどうかはわかりません。
私が物心ついたころ、母は聾学校の国語教師でした。
教え子が家に訪ねてくることもあり、母は彼らと、「手話」も補助的に使っていましたが、主に「読唇術」でコミュニケーションしていた記憶があります。
その中には、聾学校の同級生どうしで結婚し、洋服の仕立てをしているカップルもいました。応援する気持ちもあったのでしょう、ある時期まで、父の背広は、その教え子の店で仕立てていました。
母