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晴旅雨筆(エッセイ)

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これまでの人生で書き散らしてきたノートの切れ端をちぎれ絵のように張り付けたエッセイ。本を読み、山に登り、酒を呑み、街を歩く。
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2022年5月の記事一覧

沖縄復帰50周年に《四面楚歌》の日を想う (エッセイ)

その日、僕たちはいつものように、教科書で机を叩き、新任の数学教師に《休講》を要求した。 天気が良かったので、グラウンドでソフトボールをしたかっただけだ。 高校に入学して間もない僕たちは、早くもこの学校の(教師から見れば)《悪習》に染まり、くみし易い教師を(言い方は悪いが)脅し、《休講》を勝ち取って遊ぼうと、常に企んでいた。 ******** 話が横道に逸れるが、今年3月に開催された「ZOOMクラス会」で、 「あの頃、授業の始めに毎回毎回『休講!休講!』と喚く生徒たちのこ

母を語れば [1/3] (エッセイ)

母の日に。 個人的な話ではありますが、《ジジイの忘備録》です。 ご参考になるかどうかはわかりません。 私が物心ついたころ、母は聾学校の国語教師でした。 教え子が家に訪ねてくることもあり、母は彼らと、「手話」も補助的に使っていましたが、主に「読唇術」でコミュニケーションしていた記憶があります。 その中には、聾学校の同級生どうしで結婚し、洋服の仕立てをしているカップルもいました。応援する気持ちもあったのでしょう、ある時期まで、父の背広は、その教え子の店で仕立てていました。 母

母を語れば [2/3] (エッセイ)

母の日に書いた忘備録(↓)への追加記事です。 高校受験の時、特進クラスを新設する高校からのオファーに対して、 「自分のことは自分で決めなさい」 と母から判断を一任され、 《1万円とリスクを取るか、否か》 で悩んだ話を書きました。 この、 《自分のことは自分で決める》 に加え、それに付随した、 《判断結果により節約できた金は、判断を行った人間が成果として受け取る》 は、なんとなく、ではありますが、母がらみで《暗黙ルール化》されたようなところがありました。 2歳上の姉は、

母を語れば [3/3] (エッセイ)

母の日に書き始めた忘備録です。 中学の終わりに母に言われた、 「自分のことは自分で決めなさい」 「自分で決めた」学生結婚について、母に理解を求めたことなど。 今回が最後になります。 晩年の母は「自分のことを自分で」決めなくなりました。 そして、やがて、自分では決められなくなりました。 ************* 2年間の学生結婚の後、私は故郷の街で就職しました。 両親は実家の隣に家を建て、そちらに移り住みました。 母は隣家に住む《息子の嫁》に、徐々に《信頼》を寄せる