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へんなひと

noteを書くのは思考のデトックスと言っていた私が、1年以上ぶりの更新です。
色々書きたいことはあるのですが、やはりこの1年でこれを書かずにはいられない。そんな気持ちにさせる人がいまして。

国崎和也。

ランジャタイの国ちゃん。

彼を語るにいろんな面で私には不足がすぎるのですが、それでもやはり、今の私のあこがれパーソンについて書いておきたい気持ちのほうが勝ってしまいます。

2021年のM‐1決勝で初めて見て、目を奪われてから気になって情報を追ってるくらいの者なので、なにをお前がというかんじなのですがねぇ。

おかしな人ですよ。

漫才師たちが本気で挑むあの殺気立つ空間で、最下位的な点数が発表されるたびに「あはは」と嬉しそうに笑う姿。
「そこだけ重力ないですか?」というくらい軽やか。

そして、漫才をスタートする前に階段を下りながら、モードを切り替えてる職人的なしぐさ、ネタ中の所作のレベルに只者ではないなと感じたことを覚えている。

しかも、長年一緒にやってきた相方の背中をポンと叩いて緊張を解いてあげる姿をみて、「そんな熱さをもったお方なの~?泣けるわぁ・・・」と感動した後に、

「あれは<スベリ>をうつすしぐさでした~」と後に伊藤ちゃんが明かしたときの「・・・は?」という感情の落差。

生きるようにボケますね。

でも、少し時間がたつと、「でもさ、それって照れ隠しでネタにしてるだけでは?」「というか結局その自然体でいることが緊張解いてるなら、それはそれで、やっぱすごいんじゃないの?」「いや、ちがうわ。やっぱりただの面白いからだな、国ちゃんだもんな・・・」とこのループが癖になる人です。

「本を出したイベント、たくさんの人に直接サインを書いちゃうとか、ほんとうに優しいなぁ~」

 「え、サインじゃなくて、書いているのただのうにょうにょじゃん。テキトーすぎだろ。盛大なネタかよww」

「でも、なんだかんだ言ってあんだけの数書くの大変だよ。やっぱり優しいよ」

「いや、ちがうわ、やればやるほど、サインじゃないのが可笑しくなってくるから、やっぱり、ただ面白いからだな。国ちゃんだもんなっ・・・」

そんなかんじ。

「冠番組に地下の仲間をひっぱりだして、フックアップするの熱いな~」

「あれ、でも結局いっしょにすべってるだけ??」

「でもなんだかんだ、仲間想いじゃなきゃここまでやらないよな~」

「いや、ちがうわ。単純にテレビになってもいつもの友達とワイワイ楽しみたいだけだわ。そうだよ、国ちゃんだもんなっ」


こんなのを繰り返しているうちに、この人は「楽しいことしてるだけだよ~ははははは~」って言いながら、ナチュラルにまわりをハッピーにしていく天才なのでは?と気づいて、それはやっぱり人間としてすげー憧れてしまうわけです。

でも、なんかこんなことを書くのも野暮だわーと思っちゃうくらいに、なんでこんな語ってんだろって思っちゃうくらいに、つねに掴めない軽やかな人です。

そんなことを日々話していたら、夫がホワイトデーにエッセイ本『へんなの』を買ってくれたので、いつかうにょうにょ書いてもらうことを夢見ておきます。

※カバーイラストも夫と息子が描いてくれたもの。





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