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藤井風と、27クラブと、尾崎豊(後編)

この記事は藤井風は27歳で死ぬのかどうかについての考察である。
尾崎豊について考察した前編はこちら

藤井風の音楽でドーパミン中毒になる

先日noteに書いたが、筆者は藤井風音楽を聴きすぎて脳内麻薬ドーパミンが過剰に分泌され、不眠と食欲不振に陥った。好きな音楽を聴くと良い気分になるのは、脳内で快感伝達物質ドーパミンが大量に分泌されるためである。
私の不眠はそのドーパミンの分泌量が多すぎたことによるものであって、適度な量のドーパミンは人を幸福にする。ドーパミンとは快楽を司る「幸せホルモン」であり恋愛や性行為によっても分泌される。生物である人間の根源的な幸福の元である。
リスナーの脳にドーパミンを多量に分泌させる音楽を創る風氏が、27歳で死ぬだろうか?まったくそうは思えない。

まるで呼吸するように「愛」を口にする藤井風

0優しさ3

2020年5月30日深夜の「藤井風のオールナイトニッポン0(ZERO)」で、「1歳になる姪っ子に忘れられ会うたびギャン泣きされるがどうすればいいか?」という質問に風氏は「わしも一緒。姪っ子が1歳ぐらいの時はこの世のものとは思えん形相で泣かれた」と岡山弁で答え、さらりとこう話した。

わしもなんでこがん愛しとんのに愛されんのじゃろうかいうて思うとったんやけれども

私は素直に感動した。驚きのあまり笑った。こんなに自然に「愛」を口にする人と会ったことがない。風氏のその言葉はまるで「愛する」「愛される」ことが「当然」のような音として深夜に響いた。彼のこの言葉に心を奪われたリスナーも多い。
息をするように「愛」を口にできる風氏が27歳で死ぬと思えるか?全く思えない。

この後は歌詞について。

『帰ろう』で歌われる「世界を変えるには自分を変えろ」という真理

まず1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』の最後の曲、『帰ろう』の歌詞について。

(アルバム『HELP EVER HURT NEVER』の11曲全曲がYouTubeで公開されている。全曲、作詞作詞・藤井風である)
この壮大な曲で多くのファンが涙を流し藤井風の音楽の奥深さを痛感している。最も印象的な部分はここである。

去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう
憎みあいの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に忘れよう

これは「憎みあいには参加しない」という表明である。
そして風氏は「憎みあい」について批判もしない。するのは「先に忘れる」ことである。風氏は「憎みあい」という争いが存在する世の中に異議を唱えず、それに対処するには「先に忘れる」ことだと提案しているのである。争いが跋扈する世界を変えることは出来ない、自分自身を変えようと言っているのだ。
これは古今東西、あらゆる場面に対応できる「生きる知恵」であり絶対的な「真理」である。世界というのは主観である。自分と完全に同じ世界を見ている人間はいない。それぞれ違う世界を主観的に見ている。それならばその「主観」を変えれば、見えている「世界」は変わる。

そして付け加えたいのは、彼の言葉は
「去り際の時に 何が持っていけるの」であり
「去り際の時に 何も持っていけない」ではない。
「憎み合いの果てに何が生まれるの」であり決して
「憎み合いの果てに何も生まれない」という否定文ではない。風氏は一般的には否定文で表現されやすい言葉を否定文を使わないで表現している。聴いている私達の心には「否定文」が入って来ない。

『もうええわ』にも表れる「達観」

執着からの解放を歌う『もうええわ』でも、争いには参加しない風氏のスタンスが表現されている。

ぬけた 阿保なゲームいちぬけた
夜が冷めた風に吹かれてた
ふらつかないで 踏みしめて
内なる風に吹かれて

ここでは「阿保なゲーム」には与しない風氏が見られる。「いちぬける」のである。『帰ろう』の「先に忘れる」ことと大変似通っている。なんという達観であろう。22歳(当時)で老成している。まるで宗教家のようである。(風氏の信仰心についてはこの記事では論じない)
そして風氏は「内なる風」に吹かれる。つまり問題は他者にあるのではなく自分の中にある。内省的になれ、と促すのだ。なんてすごい。

必要なのは『優しさ』だけ

最後の一節。

今何を見ていた あなたの目を見てた
優しさに殺られた あの人の木陰で
それだけで良かった 何より強かった
優しさでよかった ただそれだけで

風氏は全ての曲の歌詞を自身で英訳している。

What were you looking at now, I was looking at your eyes
I got killed by kindness, in the shade of his tree
That was good enough, Stronger than anything
Kindness was the best, was the only thing we needed...

「優しさ」が最高で、必要なのは「優しさ」だけ・・・・

まるで全世界共通の真実を歌っているような気がする。例え世界が争っても憎みあっても「優しさ」が最高だから、いつでも必要なのは「優しさ」なのである。なんと温かい世界。まるで哲学か文学かと思う深遠さだ。
風氏はあらゆることを誰のせいにもしない。彼が諭すのは「自分の人生は自分次第」ということであり、つまりそれは『何なんw』に登場する「ハイヤーセルフ」である。

藤井風がいかに自分を愛しているか。『何なんw』に見られる自分への愛

デビュー曲『何なんw』は、高次元の自分であるハイヤーセルフが「あんた」を心配して見守る歌である。
ハイヤーセルフについては風氏が自身で解説している。
"何なんw”って何なん Kaze talks about “Nan-Nan”

更に『何なんw』の歌詞に、自己への愛が垣間見える。

・・・知らない方が良かったなんて言わないで居て
何があってもずっと大好きなのに
どんなときも ここにいるのに
近すぎて 見えなくて ムシされて

ハイヤーセルフは自分なので大好きなのは自分である。つまり藤井風という人物は自分のことを愛し、自己を強く肯定している。そして自分を認め他者を攻撃しない精神は「成熟」と表現出来る。風氏は22歳(当時)にして精神的に安定し成熟した人格を持っていると推察出来る。

世の中を否定せずあらゆる物事を享受し世界は見方次第で変わることを理解し、これほど自分のことを愛し信じている人物が27歳でこの世を去るだろうか?去るわけがない。

藤井風は自分の顔が大好きw

更に風氏の自己愛の強さをご覧いただきたい。
能動的三分間/東京事変 (弾き語り)

これは風氏のカヴァー動画の中でも人気を誇る作品であるが、最も印象的な点は彼がサングラスを外して顔を見せるシーンである。何回見ても笑いがこみ上げる。イケメン過ぎて言葉が出ない。それを風氏は自らやってのけるのだ。まるで「わしの顔好きじゃろう?」(岡山弁)と言わんばかりである。w

もう1本。Right There - Ariana Grande (cover)

この動画では風氏がかけているサングラスを途中で頭の上に乗せる。ところがそのサングラスがずり落ちて来てしまう。なのに、それを頭を振って飛ばすのである!なんと見事な。ピンチをチャンスに変える男の証明だ。

自分の顔が大好きでカッコいいと思っている風氏が27歳で死ぬだろうか?断じて死なない。

まとめ 藤井風が27歳で死なないこれだけの理由

1.「藤井風って早死にしそう」と言う人は単に「天才がたくさん早死にしているから」という理由だけでそう言っている
2.美しいものが短命だというのは単なるイメージで、科学的根拠はない
3.「尾崎豊と藤井風が似ている」という人は尾崎豊をよく知らない
4.風氏の音楽は聴く者の脳に快楽物質ドーパミンを分泌させる
5.風氏は当たり前のように「愛」を口にする
6.風氏は精神的に非常に成熟した人物である
7.風氏は自分のことを愛しており自分を肯定している
8.風氏は自分の顔が大好き
9.筆者が死んで欲しくない。長生きしてずっと歌って欲しい

筆者からのお願い 今後は「藤井風って早死にしそう」と言うのはやめよう。

おまけ(改訂版)

『何なんw』MVのメイキング、『藤井 風(Fujii Kaze) - "何なんw"(Nan-Nan) Behind The Scenes』の中の発言だが・・・

「このMVはスピリチュアルでなんか儀式的な感じにもしたかった。だからわしは監督にも『MVの最初であんまり顔をハッキリ見せたくない。その代わりに、ベッドの上で座って瞑想したい』って言った。」とある。これって要するに・・・「わしのカッコいい顔、すぐに見せないで徐々に見せて」って事よね・・・?w

この記事はすべて筆者の勝手な解釈であり、藤井風氏本人の解釈とは全く関係ありません。
最後までお読みいただき深く感謝いたします。
(ポチあいこ)
この記事は2020年9月21日に大幅に修正しました。

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