自分の体の声を聞く
息子を出産したとき、陣痛をうまくつかむことができなかった。正確にいうと、陣痛が来ているのに、それを信じることができなかった。出産経験者である母と、助産師である妹、そして産婦人科の先生の言葉の方を信じてしまった。
その日、朝6時頃違和感を感じた私は病院に電話をし、7時頃受診。しかし先生に、まだまだね、初産は時間がかかるんだよ、今日中に生まれるかもわからないよ、と言われ、他県から駆け付けることになっていた夫への連絡も、まだまだと一笑に付され、帰宅した。
うちに帰ってからも、ずっとイタイイタイ言っている私を、母は、仕方ないよと慰め、妹は、まだまだこれからよと励ました。そして、母は、そのまま出勤してしまい、(妹は近所の別宅に住んでいた)家にひとり残された私は、寄せてくる痛みにうずくまりながら、まだこれは序の口なのだ…と思い続けていた。母と妹の言葉を信じて、まだまだだ…このあと本当の痛みが来るぞ、そう思い、耐え続けていた。
家族の中で私は、大げさな子、痛みに弱い子、そう思われて育った。自分でもそう思っていた。
たとえば高校生の頃。体育の授業中、怪我をして保健室へ行った。真っ青な顔で気持ち悪い…と訴える私。骨折だ!と養護教諭は慌てた。病院に連れて行ってくれたが結果、突き指だった。
一事が万事、そんな調子だ。
果たして、陣痛はそのことが災いし、何かが出ようとしている…という際まで我慢することになる。そう、我慢できてしまった。痛みに弱いと思われていた私のイタイの声は、最後まで、本陣痛のイタイと信じられないままだった。自分ですら、疑ったのだ。
えええ!はよ言わんかいやあああ!と言われながら車に乗せられ、ひええええという勢いで病院へ滑り込んだ。診察フロアで、すべての患者さんをすっ飛ばして内診台へ載せられ(スミマセン)、全開大!と太鼓判をいただき、もうそのままで!!と穿いてきたすべてを脱いだままバスタオルで下半身をくるまれて車いすに乗せられる。婦長さんが全速力で押してくれ、エレベータに乗り、そのまま分娩台へ(ちなみに総合病院である)。そこから30分ほどでお産は終了…。
朝イチの診察で、まだまだと断じた先生には、後からゴメンと謝られた。そのとき連絡もらっていたら立ち会えたかも…と夫は言っていたが、それでも間に合わないほどのスピードだったな、とこっそり私は後から思った。
わかったことは、私は、痛みに、強かった。
それでは、これまでの私に対する評価は何なのか、何を誤解していたのか、と考えた。正確に表現すると「痛みに敏感」だったのだ。少しの痛みを認識してしまい、イタイと言ってしまう。結果、大げさにイタイと反応するひと、ということになってしまった。そして、イタイと言うことは、我慢の足りない悪いこと、だから我慢しなくては、と思うようになってしまったのだ。
その一件があってから、私は何よりも、自分の体の声を大事にすることにした。勘違いじゃないか、痛がりすぎなのではないか、大げさなのではないか、そんなふうに思うようになっていた自分を捨て去った。私の痛みは、私以外の誰にもわかるはずがないのだ。