ことばのうみのはじまり10 波のある場所

涙はどんなときに流れるのだろう。
今となっては喜怒哀楽ではなく無意識の生理現象としてたまに右目から涙が出てくるくらいである。
心が死んでいる。

最後に人前で泣いたのは2013年、地震や事故で二度と会えないだろうと思っていた高校時代の友人が会いに来てくれた時、号泣してしまった。
その時私の精神はすでに壊れていて、薬を飲みながらの展覧会だった。

子供の頃から私は泣かない子で、デパートのおもちゃ売場で泣きながら駄々をこねている子供を見ると両親は「お前はああいうことがなかったな」と言われる。
当時、子供をさらう事件が頻発していた。
ある日大きな公園に行き母は遊ぶ私をベンチに座って眺めていた。
チョロチョロしている私に大きめの女性が近づいてきてヒョイと抱え上げた。
その光景に気づいた母は「心臓が止まった」らしい。
女性は「なんて可愛い子!」と言い、私はキャッキャと笑っていた。
人見知りしないのも泣かないのも限度がある。

2歳の時、祖母の家に預けられることになった。
大好きな祖母もいるし年上の従姉妹も遊んでくれるので楽しく過ごした。
当時祖母の家はまだ五右衛門風呂で、毎日夕方になると祖母と薪で風呂を焚くのが楽しかった。
二ヶ月経ったある日、祖母が電話をとる。
預けた私を引き取りにくるという電話だった。
電話を終えた祖母が振り向くと私がいない。
私は奥の部屋でリュックに自分の服を詰めて帰る準備を始めていた。
祖母の電話の素振りで、帰れることを察したらしい。
その後ろ姿を見て祖母は「何も表に出さなかったけど、2歳の子供が親と離れて寂しくないはずがなかった。ホームシックで泣かないことの方がおかしい」「″これ”は別格だ」そう言っていたそうだ。

とは言え数年後、その感性が裏目に出て、否そのまま表目か、幼稚園に行きたくなくて毎日泣きわめくことになる。

時は過ぎて大学生の頃。
当時の恋人と初めて私の部屋で晩ごはんを食べることになった。
ご飯は炊いたけどおかずが何だったかは覚えていない。
ちゃぶ台にそれらを並べて、テレビをつけて。
テレビでは昭和の頃にやっていた「まんが日本昔話」というアニメの再放送が流れている。
初めてにしては上出来。
「いただきます」と二人で食べ始める。
テレビは「節分の鬼」という昔話が始まった。
懐かしい絵柄で物語は始まったものの、私は何故か涙が止まらなくなった。
条件反射のように涙があふれて止まらない。
恋人も何が起きてるのか分からず「大丈夫、大丈夫だよ」と訳も分からず慰めてくれた。
初めて部屋にあげておいて何これ。そうでなくても何だこれ。

「節分の鬼」
見たことはなかった。
見て分かったのは、私自身の柔らかすぎる場所。
老人が可哀相な環境で平気な顔をしていると、アゴに一撃食ったように膝から崩れてしまう。極端な怒か哀が出てくる。
理屈抜きなので私が善人ということでもない。
ナメクジに塩をかけて縮むのと同じレベルだ。
もし私が植物状態になったとして、「節分の鬼」を見せたら涙を流すかも知れない。

あの日から私は節分に「鬼はうち、福はうち」
と唱えるようになった。

今や気分が不安定でも泣くことはない。
そちらもそちらで「平静を装う」という生まれついての性分だろう。
泣かない鬼になった私が次に泣くのは、復帰できた後、のことだと思う。

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